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その手紙をどこに投げるか(インタビューを受けた話)

特報でーす!!
弁護士ドットコムさんに弊フリーペーパー「ゾンビ道場」のインタビューが掲載されました。

創刊からの経緯や、自分の障害などの話をしています。石の上にも3年、フリーペーパーも10年ですね…。

ずっと続けていると、渡す先が減ったり増えたり変わったり。
一人でコツコツ作っている個人新聞ながら、社会の変化を感じます。

1号を出した頃から特に変わったなと思うのは、当事者が声を上げる事へのハードル。
それを日常まで押し下げたのはやはりTwitterを始めとしたSNSの効果でしょう。これまで、大きな行動でないと届けられなかった事が、とても簡単に出来るようになった。
ただ、「小さな声が広がりやすくなる」という大きな結果が生まれたからこそ、最近改めて、個人が声を上げる意味をよく考えるようになりました。

私は、ゾンビ道場を作り始めた頃は自己開示のテンション(?)がわからず、思った事や我が身に起きた事を何のストッパーもなく書いていました。でも、そうしているとだんだん「聞いてもらいたい」が「書きたい」を追い越していくようになるんですね。
「聞いてもらえるなら、書きたくない事も書こう」「聞きたいと言われたら書かねば」という感じ。(あくまで“私の場合は”ですが)

創作への欲求と、外からの「当事者の声が知りたい」というニーズがマッチしてしまったんでしょう。
しかしそれは自傷的な自己開示だと、割とすぐに自覚できたので、早いうちに軌道修正をしました。

ゾンビ道場は特に深いこだわりもなく作ってきたつもりですが、思えば「意味がないこと」「不確定であること」にはこだわってきたような気がします。自分の経験に社会的意味を(無理に)見出さない、経験をポジティブに活かそうと思わない、特定の場所へ向かおうとしない…などなど。
自分を“より良いもの”にしようという気持ちをあえて伏せる事で、私は私を大事にしてきたのかもしれません。

発言のハードルを下げる、っていうのは単純に「なんでも言えるようになる」って事じゃないんですよね。言いたいなら言ってもいい、言いたくない時は言わなくてもいい、言えない人に言わせなくてもいい。
意味があっても結果がなくてもいい。そういう選択が出来る事(あるいは、しなくても良い事)なんだろうと思います。

ネットではよく「あなたの感想ですよね」なんて煽りや、「お気持ち」なんていう皮肉を聞きますが、お気持ち上等ですよ!!!
言ったところで何だという気持ちも、言えないなと飲み込んだ気持ちも、形にならないものも、アタシは積極的に!なでなでして行くわよ!



追伸:
今回、先述の記事のオファーをしてくれたのは、なんと我が盟友・成宮アイコちゃん…!これはアリバイです…。

連絡をもらったとき、嬉しいのとなんか面白いのとで waku-wakuしちゃいました。貴重な機会をどうもありがとう!


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