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40歳になって、急に広島に住んでいます。


東京から広島に来て12日が過ぎた。

時間が経つのが速い。あっという間。もっと早くにnoteを更新する予定だった。

広島が好きでとうとう広島に住んでしまっている。


12月1日夕方4時に広島に着いて、荷物の片づけをそこそこに到着初日の夜から平和記念公園を越え音楽喫茶ヲルガン座まで自転車を漕いでいく。料理は美味いしゴトウイズミさんをはじめ、見知ったスタッフさんたちもいる。昨日まで東京住まいだったので自転車は住んでいるシェアハウスで借りた。シェアハウスだ。40歳になって21年ぶりに人と生活をしている。実家暮し以来だ。

その翌日には広島に来たら必ず入っていた喫茶モンブランに行き、夜に広島第一劇場の常連さんたちとご飯を食べている。同窓会気分。映画館の八丁座で『首』も観た。椅子がでかく広々伸び伸びだ。3日目には基町の川辺に白塗りの男女が目隠しで叩き合う『魔界フェス』を観に出かけている。広島には日曜日の昼間に白塗りをして自家製の武器で叩き合う人が30人以上いる。家で武器を作ってきたと想像するだけでもほんとに愛らしい。

スーツケースを引き広島に到着。金曜夕方だからか新幹線は混んでいた。
広島初日の夜。自転車を漕いでヲルガン座に向かう。
『魔界フェス』。魔界の者以外は人間の文字を背負う。


仕事も広島でしている。東京の頃から探しており最近行きはじめた。嫌なとこもある職場だけど、広島にいるんだという事実にわくわくが止まらない。仕事帰りに路面電車が走る道路を自転車で漕いでいると自然と「たのしい……」と口ずさんでいる。広島の広い道路と大きな川、この景色でもう堪らないのだ。

そして自転車は4日目からシェアハウスのママチャリからギア付きに替わっている。広島第一劇場の常連さんが「あると便利だと思って」と会う日に持って来てくれた。期間限定の広島暮らしは、12日間でもう1ヶ月は経ったような濃厚な時間が過ぎている。


何故、そんな思い切った暮らしを始めたのか。


今年で40歳になった。それが大きいと思う。40歳になってはじめて、いつか自分も死ぬんだと思うようになった。“そんなこと考えるにはまだまだ若いんじゃない?”なんて言われそうだけど、39歳まで未来永劫に自分は若者だと思っていた。39歳まで“人生のレッスン中”くらいの気持ちでいた。気が若いのだ。根っからの甘ちゃんなのだ。本当に僕は死なないくらいに思っていた。それが、40歳を迎えて人生の折り返し地点を意識しだしたのだ。ここまで生きてきたくらいの時間経過しかこれからの人生で味わえないのだ。恐ろしい。

不定期で開催されるストリップトーク会に参加させてもらう。何を見てるんだか。



では、なぜ人生の最後を考えるようになったのか。それは、仕事で年配の方と接する機会が多いからだと思う。70歳になってようやく貯めたお金で自分のしたいことをはじめようとして、事故や病気で断念したと話す方と何人か会ってきた。事故や病気は年齢に関係なく訪れることであっても、リスクは若い頃よりも増えてくる。健康寿命が70歳だとするとあと30年しかない。例えば1つの本を作るのに最低でも半年はかかるし、取材によっては何年もかける。漫画も仕事を他にしてると30ページを描くのに1,2か月はかかる。ストリップの本だけでも現在で4つ作りたいものがあるし、経験上時間の経過と共に作りたい本はこれからも出来る。半年に1冊でも60冊しか作ることが出来ない。つまり、40歳になってバイタリティが溢れているのだ。

そもそも体力の衰えは30代と比べて特別感じない。20代との違いも分からない。周りがよく言う30代で体力落ちるよなんて自虐ネタは、たぶん昔から周囲が言ってるからそう思わされてるだけだと思う。どちらかというと自分のことを理解していくので、20代よりずっと身体も無理ができるようになってきた。もちろん記憶力が落ちたり集中力がなくなったと感じるし、客観的な老いは別話なので、見た目は老いたと思う。シワやシミも目立つようになったし、腰はずっと痛い。20代の男の子に「今日のたなかさん、公園で子供と遊んでいるパパみたいですね」と褒め言葉のように言われ、結婚もしていないし子供もいないのにと思うような『周囲からはちゃんといい大人に見られている』と意識させられることも多くなった。体力はそもそも身体を使うことが少ないから、衰えたか分からないだけなのかもしれないし。


シェアハウスでの食事。一緒に住む大学生が気さくで過ごしやすい。
僕の部屋。押入れが作業台になっている。


そもそもなぜ広島に住むことにまで至ったのか。それは、小学生の時に修学旅行で初めて広島に訪れた時にまで遡る。広い道路、広い公園、その土地の雰囲気に惹かれた。その後10代後半、初めての一人旅を広島にし、お好み焼きの美味しさと広島に住む人の人柄に惹かれた。広島弁も良い。めちゃくちゃ良い。そして30代に広島第一劇場と出会い、流川の街とストリップ劇場に通う人々とすっかり仲良くなっていった(と、僕は思ってるよ)。広島で語らうと仲良くなる。そんな気が本当にしている。いつか住んでみたい。でも、引越しは大掛かりすぎる。でも、住んでみたい……。そうして見つけた暮らしが、期間限定シェアハウス生活だった。

獅魂さんに行ったり、劇場ゆかりのお店に顔を出す。


“あんなことしたかったな”と思うことは、ずっと頭の片隅から離れないし、やりたかったことってやった先に新たなやりたいことが必ず待っているし。どうせやらなかったら悶々と過ごすことになるし、もしかするとこの先こんなに自由に動けるか分からないし。そんなことを考えると、お金とか暮らしの不安よりも「えいやっ」とやって来た。(広島に来た時は仕事も決まっていなかった)

そうしたら、広島に行く少し前から考えはじめることがあって。もう一冊くらい広島第一劇場の本を作りたいと思っていて。がっつり一冊の新作で考えてるわけではないんだけど。広島に来たんだから、広島に暮らしているから見えるものを作りたいと考えていて。暮らしているから僕自身も考えていくことが必ずあるから。たまに本を作ったりアクションを起こすと、みんなにとっても広島第一劇場のことを思い出すきっかけにも、何かを広島でやったりつづけていくきっかけにもなると思うんですよ。


最後に。

当分広島で住んでいます。広島第一劇場のこと、広島でのストリップ劇場のことを話してみようかな思ってくださる方がいましたら、よければお話し聞かせてもらえませんか。広島第一劇場の10年以上前の写真(開館した頃のものなどあればとても嬉しい)をお持ちの方もいましたら連絡くださると大変ありがたいです。

広島にいる間、可能な限りお話を聞かせて頂ければと思っています。ツイッターのDMからでも、メール tokimitooka@gmail.com からでもお気軽にご連絡ください。昔行ったことがあるよ。出演していたよという方も。その身近な方も。流川で働いていて馴染みのある方も是非。

薬研堀にこだまする看板。


追伸。3日目に行った魔界フェス。トライアスロンをしているマオという白塗りの魔界の方がいたんですが、あとから踊り子の翔田真央さんと知る。そんなとこに白塗りで参加してると思わないですよね。

たなかときみ


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