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語りの複数性

渋谷公園通りギャラリーで開催中の展覧会「語りの複数性」を観てきた。

「この展覧会は、フィクションであり、ドキュメントでもあります」から始まる本展キュレーターの田中みゆきさんの言葉は、インスタレーションの方式を採るものに限らずどの展覧会にも通じるものだと思った。

全ての展示物は展示された時点で環境に含まれ、制作者と鑑賞者という立場はその空間や鑑賞態度によって時に揺らぎ、展示物として出されたメッセージか何か言葉にできないものを受けては、その反応として自己の中に他者性を認識してしまうような在り方。全てがフィクションでありながら、日常の違和感や問題意識から派生した一部をすくい取り、経験や身体性を伴うものによって作品という形=ドキュメントとして提出される。記憶を記録して他者に手渡すように。

写真も言葉も映像も、グループ展という点で作者の複数性を伴いながら、鑑賞者の数だけ乗算され、個人の中でさらなる複数性を獲得する。ジャンルも表現方法もコンテクストもばらばらのアーティストたちが、同じ場所に集められて新たな意味を生むことに成功しているように思えた。

そのようなグループ展の複数性が生む偶然性と言えるだろうか、一応写真が専門なので、大森克己や川内倫子という名前にただつられて、本当にふらっと入ってみたら、百瀬文さんの映像作品「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」に完璧に打ちひしがれた。

大森克己さんの作品が並ぶ通路を通って、一番奥の部屋で上映される25分30秒の映像作品。その時間は一瞬にして過ぎていった。

どこか遠いところで何かを交換したような気持ちになり、ギャラリーを出たら、そこはまだ渋谷の公園通りで、冬の冷たい風が少し和らいで吹いた気がした。

12月26日まで。

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