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ライフコストを下げてベーシックインカムを作る

ミニマリストの人たちがリタイア生活のように見えるのは、ライフコストが低く、稼ぐ必要がなく、労働時間を減らせるから。特に固定費の中でも大きな家賃を抑えることにより、仕事にもよるけれど週に二日ほどの労働でも生きられるようになる。あとは自分でベーシックインカムを作ること。そういう人が増えたし、僕もここ数年はそういうスタイルで生きている。リタイヤ生活よりもイタリア生活をしたいというのが本音だけど。

ライフコストとは生きるために最低限必要な基礎コストのことで、それには主に食・住のことを意味していて、現代ではネットを使用するインフラ等もそれに加わるだろう。

ミニマリストの人たちは、散歩ばかりしていて暇なのか?金なくて貧乏なのか?と周りからは思われている。しかし実際はそこまで暇ではないし、やることはたくさんある。貧乏なのは僕の場合は当たっているけど。しかし基本的に労働は減らして、好きなことで忙しいため、休みがなくても忙しいと思っていないところがある。というか休みの概念さえ無くしている人も多い。それでも人から「忙しい?」と聞かれた時は、相手によって忙しいとか、暇とか答えたりする。つまり自分のやることだけをやっていたい、というのが根底にある。

周りからは暇だと思われているが、自分的には結構忙しい。という状態がいい。予定はなるべく入れずに脳内アドリブで、やりたいことをその場でどんどんやっていく。面白い仕事や人が突然来た時に「暇っす。行けます」と即答できる人がチャンスを掴む。チャンスは一瞬。すごい人に限って、急に誘ってくる。

実際にある程度の経済的基盤を確保できれば、やりたくない仕事をする必要が無くなるため、会社員の人よりも遥かに時間的余裕のある暮らしができる。

1日8時間、週に5日間労働していると、可処分時間はおそらく1日あたり3時間ほど。計算は下記の通り。

睡眠 8時間
仕事 8時間
食事2,3回 2時間
準備や風呂や移動 3時間

合計 21時間
可処分時間 24ー21 = 3時間

3時間で人間的な生活ができるだろうか。東京での電車移動の生活や、残業があると更に可処分時間は少なくなる。そして昼間は労働に拘束されているから、一番天気の良い時間帯に外で太陽を浴びることもままならない。

ミニマリストの多くはそのようなことに気づいている。だからライフコストを極限まで減らして、労働時間を減らして、人間らしさを回復させようとしている。写真を撮るのも、ものを作るのも、まず人間になってから。もちろん社会に対する思いを反動に、作品や制作にぶつけることもできる。それで良い作品を作る人もいる。そういう人がアーティストなのかもしれない。

国がベーシックインカム制度を構築するのはいつになるかわからない。というか100年後でも達成されるかわからず、その前に地球の終わりが来るかもしれない。

国が始めるのを待っていてはもう死んでいるだろうから、ベーシックインカムを自分で作っている。僕の30代はそのためにあったと言えるかもしれない。まだ40歳でもないけれど。

このnoteでは写真のことを発信しながら、そのようなベーシックインカムのことについても実は多々触れてきた。BIという名称を使っていないだけで。

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