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映像における”シネマティック”について思うこと

映像制作者の中で何かにつけてシネマティック、シネマティック言って、多くがシャドー持ち上げてハイライトカバーして、トーンをシアンからイエローに持ってきてシネマティックあげるよ〜しているけど何の意味があるのか。全然ロマンティックじゃない。もっと生っぽくていい。NHKみたいに。

写真と動画のトレンドは似る傾向がある。韓国とNYの写真やYouTuberがパキパキでリアリスティック、VlogはiPhoneで無編集が今は好まれるのに、日本は未だにフィルムトーンでシネマティック路線なんだよね。これは全体的な好みの、いわゆる侘び寂びや禅や時代劇然とした精神性の現れなのか。

メーカーまでシネマティックVlogなんて言ってるのがもう語感的にウケるというか無いんだよね。シネマティックはハリウッドにまかせておいて、素人はもちろんクリエイティブは生っぽい方がいい。少しづつそういうクリエイターが出てきている。全員がヨーガンテラーや鈴木親さんになっても困るんだけど。

確かなのは、日本から世界に出ているクリエイター、特に写真家の写真は、ほとんどが、生っぽい。それは多くがシネマティックを目指している中で、相反して逆説的なアプローチをしているからこそ、突出するものである。

みんながシネマティックな表現をこぞって目指しているからといって、そこに乗らなくてもいい、ということ。大事なのはトーン以前に、コンテンツ。これはどのような表現であっても揺るぎないものだ。確かにトーン優位で進行するクリエイティブもある。

商業撮影の現場や映画の現場では、撮影者と、カラーコレクション、また監督、効果、照明、と役割が細分化されているので、撮る人というのは自分の表現がシネマティックかどうかについて、深く考えない。最近のメーカーまで言い出しているこの「シネマティック」という語彙表現は、(そう定義しいないとカメラが売れないのかもしれないが)ミラーレスで動画が撮れるようになって、ワンオペができるようになって、写真から映像分野へ領域を広げるクリエイターが増えるにつれ強調されるようになった言葉だ。よって、ワンオペだと一人で全てコントロールできてしまう分、撮影よりもトーンに重きを置いてしまう事態が生まれる。

一人で全てを成さなけれなならない場合、あるいはアウトプットまでフルコントロールしたい場合は、いずれにも寄り過ぎず、いかにバランスを取るかだと思う。まあ、それが難しいのだけど。

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