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12/1260 棲み分け

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【毎日投稿12日目】コロナのワクチンのせいか、今日はだるさがあるけれど、2本目を書く気力があることが嬉しい。気の向くままに書いてみよう。

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育った古い家。改築の際に、庭も造ってもらった。その庭が、ちょっとしたかくれんぼに最適で、兄弟三人でよく遊んでいたものだ。枯山水の石の裏側にも飛び石の道があって、今思うと、まるで歩く瞑想のようにゆっくりと感触を確かめながら、池まで行ったり、暖かい季節には、石の上から滝のように水を流して流れを楽しんだりした。

応接間のサッシから見ると、左手前が池だ。中の住人で一番古いのは、池ができた際に放たれた鯉の稚魚達で、三十匹までは数えたのを覚えている。それから下の川で釣ってきたハエ(ハヤ)が5、6匹。ある時には忽然と、新しい魚が数匹出現した。卵を産んだ様子もなくえらく不思議だったが、そのうち分かった。お向かいの子の仕業だったのだ。お祭りで金魚をとるたびに、こっそりうちの池に放していたのを目撃した。カメもいた。小ガメから水槽で育てたが、大きく成長し手狭になったので、池に移したのだった。甲羅の端にキリで穴を開け、そこに長いひもを通して、池を自由に泳げるようにしていた。だが、中の魚を食べているらしいことが分かり、どうしたものかと思っていたら、台風からの増水の際、紐が切れてどこかに逃げてしまった。

毎年春の終わりになると、魚が集団で死んだ。近くの梅の木のせいだ。枝が迫り出していて、青梅が水中に落ちるからだ。死んだ魚や落ち葉の掃除に加えて、底に沈んだ何十個と網で掬い出す。ミステリー事件のようで、可哀想と思わなければいけないのに、高揚した。推理する楽しさを覚えた。といっても、死因は明らかで犯行動機もないのだが。

大人達は、庭のデザインの欠陥だと言っていた。梅の木のせいにされて切り倒されないか、密かに心配した。

池中では、魚達が棲み分けをしていた。鯉は鯉、川魚は川魚、金魚は金魚で。喧嘩することもないが、交わることもない。その様子が、やけに新鮮で非常に印象に残っている。大きな発見をした気持ちだった。

アメリカにきて、ああ、あんなのが結局一番平和な形態なのかもしれない、と思ったりもする。誤解される気もするが、あの、平和で自然な魚達の姿の残像を見ていると、妙に納得する。

まあ、人間と違って、トラウマを重ねることがないからね、戦争もないし。






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