母
じぶんの子供は反抗期がなかった
そうよくいう母は何をみて私は笑う
なかったのではなく、できなかったと
確かに反抗期らしい反抗期を経験していない私は
過敏で過保護な親に育てられた
よくいえば守ってくれる
反対にいえば自分の支配下におきたがる人
しかも自覚していないし
他人からはそう見えてない分たちが悪い
父もそのようなところはあるが母ほどでない
私にとって母は愛する対象であると同時に
私の心の蓋を支配する亡霊のような存在
感情的になると話が矛盾する母を私は最近知った
自分が「ボケー」としているタイプであるから
クラゲのようにただ浮かんで
流れてきたものを食べる生き物を母は私にみている
これは事実だ。否定する気はない
20歳を超えてからでも両親と旅行へ行けば払ってくれる
ご飯がテーブルに出てくるのも親のおかげ
今の家に住めているのも
大学に行けているのも
なにもかも親のおかげだ。
でもだからと言って精神的支配をするのをやめて欲しい
自分の感情で考えを変えて
払うと言ったものを払わなかったり
手伝うと言ったものを手伝わなかったり
そんな態度の母が嫌い
でもそれに逆らえないのは昔からそう思わされているから
心の自由というものを檻で閉じ込めているから
自由が手を伸ばせばおりから手や足は出せる
時々、気まぐれに散歩にもいける
でも散歩中も首にはリーシュが付いていて
本当の意味での自由は手に入れられていない
奈良の鹿と私は一緒だと思う
鹿は野生だが人間に食べ物をもらって自由権を失っている
何も彼らを囲むものはないが
もはや食や安全性からは離れられない。
私もある意味そうであるが、野生ではなく「家族」として生まれた。
家族ってなんだろう
ものでの幸福がない
いっそのこと縛るなら縛って欲しい
気持ち悪い、ゆるい縛りより
キツくて食い込まれるような
そんな縛りの方がいい
今日もよくわからず
思いのままにつぶやく
結局自分が不快だと感じるものを
ただ吐き出すように書くしかできない
争わない私が一番自分の心の蓋を
固く閉めているんだろうな
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