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言葉と戯れて

テーマ:TOKIDOKI1周年記念

「ニューヨーク、ときどきDIARY」がスタートして早くも1年を迎えた。最初はいつも書くこともなかろう、という予想から名付けられた名前だが、今は1ヶ月に2本というペースが決して「ときどき」ではないことに気づく。少なくとも2週間はマッハのスピードでやってくる。
 
さらに我々は週例会議を月曜の夜にスカイプを使って行なっているが、感覚として、「さっき話をしたばかりなのに、もうミーティング!?」という速さだ。このペースで歳を取っていると考えると実に恐ろしい。正に「人生は短い」を体感している。
 
この定例は異なる地域(東京、ニュージャージー、ニューヨーク)に住む3人がお互いの地域レポートを含めた近況報告や世間話、また今後取り上げるテーマや時に不定期で参加してくれるエッセイストのスカウト状況などをざっくばらんに30〜60分くらい話をする憩いの時間だ。
 

 
ということで、このエッセープロジェクトが始まりを書いておこう。それは、一年以上をさかのぼった2021年5月10日、らうす・こんぶさんが長年運営している動画ベースの「New York no Asagohan」という情報サイトの今後の在り方について、福島千里と僕の二人に相談を持ちかけてくれたのがきっかけだった。正に、誰もが何か家でもできる新しいことを模索していたコロナ真っ只中の頃だった。その夜は何をするかが決められず、お互い「何が一緒にできるのか?」という宿題を持ち帰り、1週間後の17日に再び集まった時、3人が共通している長年のニューヨーク居住歴とライター経験を活かせる三者三様の視点から、同じテーマでニューヨーク愛を込めてエッセーを書くというプロジェクトが生まれた。
 
いつか出版する、読者やライターを増やすという締め切りのない「なんとなく」な目標や目的がなくもないが、TOKIDOKI(タイトルが長いので省略して、こう呼ぶ)は、基本的に書くことが好きな3人が、好き勝手に想いを綴るプロジェクト。生活の為にやっている訳でもなく、いつ終わりが来てもおかしくないのに、誰も辞めたい、なんてことは言わない。個人的には自分以外の二人やゲストが書くエッセーを読むのが楽しいのと、いかなるテーマでも、それを絡めてエッセーを書かなければいけない点が、チャレンジ精神を掻き立ててくれるので、やりがいを感じられて楽しんで続けられているのだと思う。
 
それにしても1年、よく続いている、と我ながら感心する。一人だったら三日坊主で終わっても全然おかしくないが、他の二人がいるから続けられている。そういう意味で気長に一緒にTOKIDOKIを続けてくれているらうす・こんぶさんと福島千里さんに、この場を借りてお礼を言いたい。「ありがとう♬」と。
 

 
長いようで短い人生の一コマを、その時の想いを込めて書き綴るエッセー。日々感じることや思ったことを、言葉の広場の中で戯れながら書き上げていく。言葉は、まるで公園や森の中にある木々の枝葉のように繁っていたり、ゆらゆら落ちていったり、また時には枯葉となって地面一面に広がっていたりする。それらを、特定の時間内に拾い集めて、「エッセー」にしてページを埋めていく。欲を言えば、それが、やがて一冊の本(日記)になって、どこかの図書館や本屋さんに並んだらいいなぁ、と思う。どこに読者がいるかわからないけど。それでも、いつか、僕の本を読んで何かを感じてくれたら、エッセーは人と人をつなげる立派なコミュニケーション・ツールとして成立するのかなと思う。だから、今日もセッセとエッセーを書いています。言葉と戯れながら。
 
2022年7月3日
文:河野洋

[プロフィール]
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。現在はアートコラボで詩も手がける。

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