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そびえ立つマンハッタン by 河野洋

今回のテーマ: マンハッタン

マンハッタンという地名はニューヨーク市以外にも多数存在する。その名前自体に魔力はない。しかし、この小さな島に一歩足を踏み入れると、不思議な地力が体全体に枝葉を伸ばし、「そびえ立つ」脚力を万人に与える。

日本は名古屋市に生まれ育った僕がニューヨークの風を感じたのは、軽井沢でのっぽのおじさんと遭遇した中学一年生の夏休みだった。どこからともなく現れ、僕の目の前でそびえ立ったのっぽのおじさん。彼は、エンパイア・ステートビルやかつてのワールドトレードセンターのように、途轍もない存在感と説得力で、生きることは何かを暗に示してくれたと今でも勝手に解釈している。

その後、ザ・ビートルズの「レット・イット・ビー」に衝撃を受けた僕は、当然のようにエレキギターを始め、バンドを結成した。そして、まさにその時だった。のっぽのおじさんがジョン・レノンだということを知ったのは。ロックに夢中になり、ギターの練習に明け暮れた僕はどんどん海外に憧れるようになった。音楽の本場アメリカへ行きたい!

22歳になり、僕はついに海を渡った。サンフランシスコに上陸し、米国横断一人旅を敢行。ジョンの後を追うかのようにニューヨークに辿り着いた。そして3年後の1992年、僕はニューヨーカーになった。さらに、僕はアメリカ人とのバンド活動を経て、2枚のソロ・アルバムを制作。自ら設立したレコード会社からリリース、今では音楽や映画祭のイベントプロデュースを手掛けるまでになった。しかし、30年近く経過しても「そびえ立つ」実感が得られない。弓道で言えば、的は絞れているのに、矢が思うような軌道を描いてくれない感覚だ。

これまで、そして今でも多くの人間がニューヨークに魅了され、野望を抱き、挑戦し、金字塔を打ち立ててきた。それは地位や名声とは無関係で、勲章やトロフィーのような形あるものでもない。それは「生きている証し」が感じられる、不開門の鍵のようなものだろう。自分自身がこのマンハッタンを今でも離れられないのは、ジョン・レノンの後ろ姿を今でも見ながら、いつか、そびえ立つ、その瞬間を欲しているからに違いない。

昨年に発生した新型コロナウイルスで、ニューヨーカーたちのみならず世界中の人々が少なからず「生きる」ことに真摯に向き合う時間を与えられた。また、アジア人に向けられたヘイトクライムも急増している。恐怖心がないと言えば嘘になるが、恐れることで「そびえ立つ」チャンスを失うことの方が怖い。そんな力を与え続けてくれるのが不思議な島、マンハッタンなのかもしれない。

2021年5月31日

河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。

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