見出し画像

ハッピーアワー今昔物語


テーマ:ハッピーアワー
by  らうす・こんぶ


ニューヨークは今頃の季節(5〜6月ごろ)がいちばん気候がいい。日本のように梅雨はなくて爽やかだし外は9時ごろまで明るいから、バーやレストランの外に置かれたテーブルで通りを眺めながらビールを飲むのはサイコーだ。しかも、ハッピーアワーで安く飲めるとあればなおのこと。

数年前まで私はニューヨークのクイーンズに住んでいた。かつてはアイルランド系住民が多く住んでいたところなので、今でもアイリッシュパブが多い。アパートの徒歩圏内には数件のアイリッシュパブがあったので、たまに一人で、たまにはご近所さんとビールを飲みに行った。

バーにはたまにしか行かないし、行っても何杯も飲むわけじゃないから、ハッピーアワーを目掛けて行くということはほとんどなかった。ビールを飲みに行ったらハッピーアワーでラッキーという程度で、それほどハッピーアワーで恩恵を受けていたわけでもなかった。

それでも、暑い夏が来る手前の爽やかな季節に、バーの入り口に「ハッピーアワー」と書かれた看板が出されると、地元の人たちが三々五々と集まってきて、店内のカウンターの前に立ってビールのパイントのグラスを傾けながらおしゃべりに花を咲かせる、そんな様子を見るのが好きだった。みんな楽しそうで、ニューヨークというかアメリカっぽくて。日本の居酒屋文化とは違う、アメリカのバー文化、とでも言おうか。

ニューヨークに来たばかりの頃、日本とは全く異なるバーシーンに驚いたり感心したりしたことを思い出す。ソーホーあたりのバーは週末、特にライブがある夜などは若者でごったがえす。肩や背中が他の人とくっつくような混み具合でトイレや出口への移動もままならないのに、サーバーたちがお客を華麗にスイスイと避けながらビールを並々と入れたグラスをいくつも運ぶのを見てまず驚いた。

私の目にはまるで曲芸のように見えた。なんとプロフェッショナルなことだろう!私はサーバーがビールやワインの入ったグラスを運んでいるのを見る度に、こぼしはしないか、お客の服にビールを引っ掛けたりしないか、グラスを落としやしないかとヒヤヒヤして、サーバーが通る度にビールを引っ掛けられたりしないように用心深く体を避けたが、そんなことを心配している小心者は私だけ。こういうところに慣れているお客は全く意に介していなかった。

あるとき、ニューヨークに来たばかりの私に、当時の知り合いがバーカウンターでのニューヨーク式のスマートな支払い方法を教えてくれた。当時は生ビールが1パイント4ドルか5ドルだった。ハッピーアワーなら、もちろんそれより1ドルくらい安かっただろう。

まず、カウンターに腰を下ろす。テーブル席ではこの手は使えない。それからカウンターに20ドル紙幣を置く。バーデンダーにビールをオーダーすると、バーテンダーはビールを並々と入れたグラスを客の前に置き、20ドル紙幣からビール分の代金を引いてお釣りをカウンターに置いて行くので、客はここから1ドルをバーテンダーにチップだとわかるように置く。ビールが5ドルでチップが1ドルなら、カウンターの上には14ドル残っているはずだ。バーテンダーは頃合いを見てすっとチップを持っていく。

ビールを2杯飲めばカウンターの上のお金は8ドルになり、3杯飲めば2ドル残ることになる。もっと飲みたい場合は、さらにカウンターに20ドルか10ドルをプラスして飲み続ける。こんな感じ。ビールをオーダーする度に財布を出して代金とチップを支払って財布をしまって……というよりはるかにスマートだった。

でも、この習慣も今ではほとんど見られない。キャッシュはほとんど使われなくなったから、この習慣が死に絶えるのも時間の問題だろう。いや、もうこんなことしているニューヨーカーはいないかも。

今は、カウンターに腰を下ろしてビールを注文すると同時に、客は現金ではなくクレジットカードをバーテンダーに渡す。するとバーテンダーは「このカード、預かっておきましょうか」と聞いてくる。たいていはビール1杯で終わらず、追加でビールをオーダーしたり料理を注文するので、お客はカードを店の人に預けて飲み食いを続け、帰るときに清算してもらってカードで支払いを済ませて帰る、というのがニューノーマルになっている。

なんだかつまらないね。カードで支払いをするより、バーカウンターに20ドル札を置いて飲む方が断然かっこいいと思う。でも、最近の映画でめっきりタバコを吸うシーンが見られなくなったように、こういうシーンはもう古い映画の中でしか見られなくなるのかもしれない。あ〜あ、つ〜まらない。




らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

昼間でも聴ける深夜放送"KombuRadio"
「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?