家族も友達
今回のテーマ:友だち
by 河野 洋
今日は母親の85歳の誕生日だ。子供の頃から母親には本当に助けてもらった。本人は放任主義で何もしていない、とよく言っていたが、母は母親ぶったところがなく、ある意味、友達のような感じで接してくれていた。中学の時、エレキギターをねだったときは、すぐさまヤマハ楽器店に連れて行ってくれ、店員と交渉しておまけをたくさんつけてもらったり、英語の勉強をしたいと言った時は、近所で絨毯屋を経営するパキスタン人のオーナーに英語レッスンをお願いしてくれたり、子供の頃から母親というよりは理解のある友達のような存在だった。
僕が自動車免許を取った19歳の時も、同時期に自動車講習所に通い、49歳で免許を取得、僕がアメリカへ移住した後も、たまに帰国すると還暦過ぎてもどこへでも車を出して送り迎えしてくれた。英語は話せないが、「飛行機に乗れば連れて行ってくれる」と物怖じせずニューヨークに一人でやってきては、娘たちが赤ん坊の頃、よくお守りをしてくれたものだ。
家族である母を引き合いにしたが、僕が思う友達とは、どんな状況でも無条件でサポートしてくれるものだと思っている。そして、何年も会っていなくても、噂で悪口を言われていると聞いても、理由も聞かず、損得勘定なく、両手を広げ受け入れてあげるくらいの器量が必要だ。その点で言えば、相手がどう思っているかは別として、時間と空間を共有したことがある人は全員友達になりうると思っているし、そうなるように接するようにしている。
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最近10年以上前に知り合った人物と腹を割って対面で話をする機会があった。その人とはそれまで何度も顔を合わせていたし、世間話だって幾度としたことがあったが、知人以上とは言える存在ではあっても、友人と言えるほど親しくはなかった。しかし、話をすればするほど、共感すること実に多いことが判明し、話の後、友達と言っても違和感がないくらいになった。
そう考えると、勝手に知人と決め込んでいるあの人もこの人も、単にその人のことを知らないだけで、億劫でも少し時間を作って話をすれば、思いの外、自分との接点が実はたくさんあって、友達になるポテンシャルを秘めているのではないかと思うのだ。今回のケースは10年以上の年月をかけて友達と呼べるまでになったが、友達には有効期限なんてものはないから、先入観を取り払い、積極的にその人の話に耳を傾ければ、どんどん友達は増やせるのではないか。
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家族だって最初はお互いを知らない他人と変わらない。時間と空間を共有したという点で言えば、家族は生まれて最初の友達だと言っても過言ではない。僕の存在を認め、無条件でサポートしてくれた。それと同じような気持ちで他の人に接していけば、友達の輪はどんどん広がる。
しかし、その最初の友達とも言える母は、2年前に認知症と診断された。少しずつ記憶が薄れている。まだ僕の名前を覚えているし、息子と認識しているが、「どちら様でしたか」「初めてお目にかかりますね」と、いずれ僕の顔も名前も忘れてしまうだろう。だが、仮に記憶が1分しか残らなくても、初めて会った人のように接してあげて、一から話を始めればいいじゃないか。すぐに名前を忘れられても、何回だって友達になればいいじゃないか。昔の元気な時の母を思い出しながら、僕の名前を呼んでくれる母の声を、これが最後かもしれないという気持ちで頭に刻んでいる。
2022年8月28日
文:河野洋
[プロフィール]
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭をスタート。数々の音楽アーティストのライブ、日本文化イベントを手がけ、米国日系新聞などでエッセー、コラム、音楽、映画記事を執筆。現在はアートコラボで詩も手がける。