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無感動は、心の防御かもしれないね。



最近、音楽や言葉が何も響かなくなった。
かつて大好きだったバンドの曲も、小説や映画も、友達の言葉も心に届かない。
悩みもなく、苦しみも感じない。
ただただ生きるのが楽だと感じる。

では、この虚無感は一体何なのだろう?


そうした日々を送りながら、自分自身の内側で何かが変わっていくのを感じていた。
無関心や無感動が作り出す「楽」は、本当に楽なのだろうか?
全てが自分を通り抜けてどこかへ消えてしまうのを感じる。
それでも、人から言われた酷い言葉だけは一語一句心に刺さり続けている。
一方で、自分が誰かに言った酷い言葉は、いつの間にか消え去ってしまっている。

ある日仲の良い常連さんのおばあちゃんが僕の顔を見て、

「若いのに、何か悩んでるのかい?」

なぜ?と、少し驚いたが、無意識に首を横に振った。「悩みなんてないですよ。ただ…最近何も感じないんです。」

おばあちゃんはしばらく僕の顔を見つめ、それから静かに言った。
「無感動は、心の防御かもしれないね。昔、私も同じようなことを感じていた。辛いことが多すぎて、何も感じなくなってしまったんだ。」

おばあちゃんは、旦那さんを介護してた時の事、旦那さんが亡くなった時の事、そしてそれから孤独だった日々の事を話してくれた。

「でもね、少し顔を上げて見ればやる事は沢山あって生きるっていうのはそういう事よ。
それに追われながら小さな幸せを見つけていくの。今日は何食べようかな、洗濯物干さなきゃ、買い物いかなきゃ、今日はあのテレビ面白そうね。そうやって日々は続いていくのよ。

そのなかで何か一つ、自分の中に大事なものを見つけることができれば、それが救いになる。
私はそうやって、少しずつ感情を取り戻していったんだ。」

自分の中に大事なもの。
それが何なのかは分からない。
でも、今この時間が僕は好きだった。
日々は淡々と過ぎていく。けれど
愛おしいと思える事だってある。
眩しいくらいの日差しも、どんよりとした曇り空も、僕にとっては愛しい日々なのかもしれないね。

よくわからないけど、たぶんそれで良いんだね。

下を向いたり、上を向いたり、横をみたり、ふらふらしたり。
そうやって歩いてみよう。

さぁて、今日は何を食べようかね!
お腹が空くんだから仕方ない。
きっとそれだけで幸せなのかもね。

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