鋭い指摘にはぐうの音も出ないな
成長には挫折がともなう。しかし、挫折をすると、上手く体が動かなくなる。挫折するにも体力が必要だ。
コンペティションに出す作品の添削会があった。私は授業の外で人に絵を評価してもらうことは初めてであったため、とても緊張していた。
自分の順番まで、酷く待った。なんの順番で呼ばれていたのかは不明である。最後尾だった。
順番が回ってくる。係の人が私の名前を呼ぶ。講師は酷く疲れていた。3時間ぶっ通しで人の絵を見て講評を行うのは、頭を使う作業に違いない。
その時点で、覚悟はしていたものの、やはり、私に気を使う余裕も残っていなかったようだった。
酷評であった。実力が不足しており、口を出す部分しかなかったのだろう。自分の作品の拙さなど、プロの視点から作品を見れば明らかだ。
自分の目で自分の描いたものをいくら見ても、善し悪しの判断ができなかった部分の問題点が、ひとつひとつ言いあらわされる。
自分が描いた笑顔の少女から目をそらす。溜まった涙を見られたくなくて、講師を前に俯く。メモ帳をみつめ、普段よりずっと時間をかけて文字をメモする。一昨日の出来事だった。
久々に泣いた、と思った。前働いていたアルバイトの接客中、客にぶつかってコップを割ったあの日以来のように思う。
前回は過呼吸を併発したものの、今回はそうならなかった。改善をはかったからだ。
ビニール袋を口元に当て、息を吸い、吐く。ビニール袋が膨らむ、凹む。効果を実感して以来、呼吸の仕方を見直したことを思い出す。
省みて、改善すると、解消することがある。しかしながらうつ状態が改善傾向にある今でさえ、自分から指摘されに向かってもなお、涙が出るものかと驚いている。
一昨日はふたつの挫折を経験したといえる。1つ目は、動揺するとそのまま涙がたれ流されること。2つ目は、作品から見てとられた改善点だ。
そして、挫折には体力を使う。今日の私は疲れ果てていた。オマケに授業の開始が1限からといったハードなスタートをキメている。
人生、想定外の出来事が多すぎる。自分の中での努力の過程は人から見えない。絵を描くスピードを上げることと、クロッキーを行うこと。
どちらも私が普段から行っている練習を推奨されたことに笑っているし、闘病5年目のうつ症状は未だに見え隠れしている。
安定してきたと思った隙にイベントが頻発している。頭の中のやることリストが埋まる。人生、ある程度で自己満足する。
しかし、強制的に他人から意見を貰う場に向かってみると、2つもの大きな問題が目の前に現れた。
やることがある方が好きだ。何をしていても、飽きるからだ。一昨日から昨日まで、落ち込み尽くした。落ち込むことに飽きたら次に行うことは、決まっている。
挫折に伴い体力を使い果たしたことで、余計に落ち込んでいたらしい。チョコクロを食べ、文字に書き起こしたら少し、元気が出てきた。
深呼吸をする。向き合い疲れた。成長に必要な出来事に直面することは大切だろうけれど、たまにでいい。本当に、たまにあればいい。
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