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8ヶ月間の更新、人生からしてみれば今更の気づき

新・パルテナの鏡のキャラクター、ピットとパルテナのamiibo再販があった。スマブラ続編が出るのではないかと囁かれているけれど、信ぴょう性が高まりつつある。

近頃の私といえば、働いている人や勉学に励んでいる人に合わせる顔がない。本当に、なにもしていない。

半日以上眠っているし、何だか頭も働かず、いや、働かせずに過ごしている。いつまでもこんな状態で生活をする訳にはいかない。そんなことは決まっているし、分かっている。

しかしながらどうしていいかも分からない。こうしてnoteと向き合っているのも、たまたまアプリを起動したからに過ぎない。

今月も日記を書けば8ヶ月間連続して1つは記事を上げていることになるから、なにか書いたらどうだと通知が来ていたのだ。

まあせっかくだからひとつくらい、何か書いておこうと思って今に至る。

新・パルテナの鏡は、私が大好きなゲームソフトのひとつである。3DSの終わりかけ、そしてSwitchの発表前に新・パルテナの鏡を初めて遊んだ。

空中戦パートの臨場感が凄まじく、SEの一つ一つも凝っている。遊び心溢れたキャラクターたちの会話一つ一つに胸を躍らせていた。

思い返せば、私がこのゲームに初めて触れた時期も、何だか冴えない日常を送っていたように思う。

中学1年生、意を決してバレー部に入部したところ、球技が下手である上に、メンバーと上手くいっておらず、部活が嫌で学校を休みがちになっていた。

と、思ったけれど、新・パルテナの鏡を遊びはじめた時期は、本当に中1であったか?振り返ってみると、記憶が定かでない。

私が歪めた過去のような気がしてきた。記憶はいついかなる時でも信用ならない。自分が中学1年生であったのは、かなり昔である。分からなくなってきた。

とにかく、新・パルテナの鏡と出会った時期が、私の人生のうちでぱっとしない時期であったには違いがない。

とにかく面白いシナリオと、やり込めるゲーム性に感動したのを覚えている。あ、いや、思い出した。

新・パルテナの鏡をお年玉で購入したのは小学生の頃で、途中からシナリオが面白すぎて、このゲームを終えたくないと感じた私は、ストーリーを先に進めることをやめたのだった。

そして再開したのが中学1年生。そうなると整合性がとれてくる。変わらず、なにか確認をとった訳ではないため、本当かどうか定かでない点は留意したい。

人間の頭は、短絡的である。やはり話半分で聞いて欲しい。

曖昧であるものの、自分の人生を振り返ると、バレー部を辞めて陸上部に転部した後の2年間が、自分にとって1番充実していた時期であると感じる。

卑屈にならないで済むくらいの忙しさを前にすることで、ようやく充実を感じられるもののかもしれない。

しかし、結果としてその2年間があったからこそ私はうつ状態に至るまで調子を崩している。そして今もそれを引きずっている。

つまり、卑屈でいるくらいでないと後々調子を崩すのではないか。人生を長く続けるには、卑屈でいるくらいで生活を回すことが大切なのかもしれない。そう考えると腑に落ちる。

8ヶ月間連続更新の記録を伸ばすこともできた上、自分について考えることもできた。たまたま通知が来ただけとはいえ、素直にnoteと向き合うことで発見があった。

今日はこれぐらいで良しとしよう。実際に新・パルテナの鏡を始めた時期は、分からないままである。

しかしながら、確実に確認を取らねばならない出来事でもない。この作品が、今でも私の心に残っている事実だけ、噛み締めて行きたい。



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