見出し画像

忘れていることと、1人で歩く

残った課題を終わらせるために大学に行った。久々に街を歩いた。1人で歩く街は、普段と違って見える。私が自由だからだ。

人と一緒に街を歩いている時は、特にやることが決まっていなければご飯を食べるか、お茶する程度しか選択肢がない。しかし、1人で街を歩くと全てが選べる。

お茶することも、本屋に行くことも、服を見ることも、何もせず帰ることも、1人ならば自分の都合で、何を選んでもいい。

人と接する機会が増えたことで忘れていたが、私は1人で出歩くのが好きだ。

狭すぎるチェーン店のカウンター席も1人ならば収まるし、自分が気に入るかどうかだけで物事を選べる。急に引き返してもいいし、数時間同じ場所に留まっていてもいい。

人と接するのは好きだ。自分が知らないこと、分からないこと、興味のないことを知るきっかけになる。それだけでなく、趣味の合う友人と過ごす時間は、何にだって変え難い。それだって、心地良い。

一人でいる機会が減ると、一人でいることが好きだった事を忘れると、知らなかった。生きていると、1度知ったことや体感したことはずっと覚えているような感じがする。

実際は、すぐに忘れているし、すぐに分からなくなっているのだろう。人間は忘れやすいことも忘れていた。

人と関わることは、パズルのように感じることがある。決まった予定をみんなで遂行するような感じが、型にはまっているからだ。ピース一つ一つの形は違うけれど、集合、どこかへ行く、楽しむ、解散する。流れは決まっている感じがする。

一人でいることは、迷路のようなのかもしれない。間違えたら行って戻ってもいいし、面白くなかったら二度と行かなくていい。逆に何度も何時間も留まったっていい。

指一本でスタートからゴールまでなぞる様子が、迷いながら楽しむ1人の時間みたいだと思う。

夏休みが始まる前は、週に3、4回通学していた。しかし、大学に行くということはそこに知り合いがいるし、会ったら話す。小さな大学ということもあって、授業数も多くないため、そのまま放課後まで人と一緒に過ごす事が多かった。

私は「自分で選べる」事実が好きだ。

分かっていたことを見失っても、必要に応じてまた思い出す。思い出したら大切にする。それでいいのかもしれない。1人で久々に歩いたことで、そう思った。これからだって、見つけたいことや、わかりたいことを探す人生でありたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?