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人と関わり、疲れた夜に誓うこと

何を書こうか悩んで、なかなかnote書き始められないことについて考えている。近頃そんな日が多い。

考えて思ったのは、疲れているという事だ。原因が「疲労」であることなんて、真っ先に思い着きそうである。

しかし、アイデアだって最初に出てきたものを採用するに至るまで、紆余曲折ある。それと同じで、他の問題点と照らし合わせることで腑に落ちた。

とにかく、疲れている。普段会わない親戚との付き合いや、1人の時間が極端に少ない事が、じわじわ心を侵食している。

1人でいそいそと毎日インターネットに向かって語りかけている私にとっては、年が離れた親戚は、血が繋がっていれど厳しいものがある。

親戚と会うたび、たまにいざこざが起こって家族との生活を窮屈に思うたび、1人でのびのびと生きる方法を考える。

1人で暮らすだとか、免許を取って1人でドライブに行くだとか、1人で旅行に行くだとか、ソファに横になるなどして、ぼんやりと、自立について、考える。

叔父の車に乗せてもらっている時、私が免許を取る事に家族がそこまで乗り気で無い事を世間話程度に話したところ、「女の子は何をするにも心配されるものだからね」と言われた。母もそうだったのだろうか。

不器用で、身の回りの事も後回しにして、趣味に打ち込むか、だらだらするかの娘を見ている家族は、やはり心配しているだろうか。

それで言えば、私も自分に不安がない訳ではない。親戚との関わりを面倒に思い、別室に逃げてきた自分に対してこれで良いものかとも思う。

自分のことが分からない。ジョハリの窓について、思い出す。

自己には「公開されている自己」(open self) と「隠されている自己」(hidden self) があると共に、「自分は知らないが他人は知っている自己」(blind self) や「誰にも知られていない自己」(unknown self) もあると考えられる。

Wikipedia「ジョハリの窓」より

家族から見て、自分はどう見えているのだろうか。ある程度歳を重ねた私に対しても、かなり心配があるのかもしれない。

人から見て、「隠されている自己」が、やはりあるのだろう。

大学の友人と出会って2週間程の時に、休日に人と大きな公園まで外出をするなんて、アクティブだね、と伝えたことがある。友人は、あなただって土日も積極的に遊びに行くタイプではないのか、と言われた。

まだ出会いたてであったため、第一印象の話ではあるが、人からそう見えることもあるのだなと勉強になった。

友達と通話をしていた時に、「絵を描くのが早い人ってすごいよね」といった話になり、「早さはともかく、絵を描く事以外趣味がない為、イラストを量産できるのではないか」と話した。

「言い過ぎ」と言われて笑ったけれど、本当にそうである。自分は仲良くなった人に、他の人の話であれど何を言ってもいいと思っているのかもしれない、と翌日考えていた。

自分の知らない自分を教えて貰って、それが楽しくて、また笑って、自分にとってポジティブな内容であればウキウキであろうけれど、例えば人と話す中で誰かを不快にしている事実に気がついた時には、とても落ち込むのだろうなと思う。

人間関係の話題はとてもセンシティブで、大衆に向けて発信すると発火する可能性があるようにも思う。

炎上沙汰とまでは行かずとも、個人の心を密かに傷つける場合があるだろうと思う。

また、実際の交友関係だったらどうだろうか。傷ついた人が他人に気持ちを吐き出せれば良いものの、ただ私を恨んだり嫌だなと思うことがあったらどうしようと思う。

実際それなりの頻度では発生していることが考えられるが、改めて今思い、焦っている。

数少ない交友関係に傷が入るのは嫌だ。壊れる時には壊れるため、絶対に傷つけたくないと無理な話をしても仕方ないとは分かっている。

それでも無くしたくないものを前に、どうしても執着してしまう。

交友関係で傷ついた時に、1人で抱えて相手を恨まないようにしたいと思う。小さな気持ちの滞りも大きくなると洪水してしまう。

笑って許すことは、1人では難しい。できることならば一緒に笑ってくれる人が必要だ。

とにかく自分から友人を失う方向に走らないよう、なにか問題があれば人に相談することを心がけたい。

人と関わる事で疲労を感じた夜にはいつだって、今大切な友達のことを思い出して、大切にしようと心に誓う。





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