見出し画像

正義と微笑、情報収集はした方がいい。

眠れなくて、朝に寝て昼に起きた。夏、家族の実家。そして帰省。また日常。久しぶりに家に帰ってきた。

以前家族がコロナに感染した時に、色々あって家族が私の部屋、私がリビングで眠ることになった。

リビングの床に布団を敷いて寝そべる。寝返りを打つとWiFiのルーターと目が合って、緑が点滅している。自宅の床は、自室では無い。

こんな些細な違いで眠れないんだ、と思った。不安で心臓がバクバクして、情けなさすぎて笑った。いつも使っている抱き枕を引き寄せて体で押しつぶすと、自室のにおいがした。

次第に動揺も収まって、眠りについた。翌日に昼まで爆睡して、のちに熱が下がった家族から寝相を笑われた。


昨日、本屋に行った。太宰の本を新品で買った。それからはめられた、と思った。青空文庫で読める可能性がある。


うん。

紙で読みたいのだと言い聞かせる。読書って腰が重い。でも、アニメを見るのもゲームをするのもそうだった。今は違う。アニメとゲームはいつでもたぐりよせられる距離にある。

物語を読みたいのなら、シナリオゲームをするよりも小説の方が手っ取り早いと気がついた。だから、そろそろわたしのなかで小説のターンが来ると思う。

SFとサスペンス、ミステリが好きである。趣味から見ても読書をした方がいい。小学生の頃、どうして小説は人が死ぬものと恋愛をするものが多いのだろうと思っていた。

恋愛はさておき、サスペンスについて疑問があった。事件を取り扱ったものが多くないか。また、それを面白がるのは不謹慎でないか。

フィクションと現実を区別できるようになるには、考え方の訓練が必要であると思う。わたしはフィクションの作品で見た、寝る間も惜しんで努力をするような人間に憧れ、厨二病を通り越し体調不良、うつ状態、現在も通院中である。

昔に戻りたいとは思わない。知らなくて恥をかくし、それを真正面から捉えすぎた。失敗や過ち、良くないテストの結果、部活動、委員会、アルバイト。全部怖くてたまらなくなった。

真正面から捉えすぎだって、分かっていてもどうしていいか分からなかった。ネットで調べたり本を読んだりもしたけど、結局よく分から無いままである。

全てを知りたかった。今はそうは思わない。大学が面倒で仕方ない。しかし課題はやらなければならないと、思いがチラつく。

気にしてる時点で、なんだか昔と変わらない自分が見えて面白い。全部やめにするといいつつもんもんとしていた日々を思い出す。

昔と変わらないところが、なんだかやけに面白くて、どうでも良くなってきた。ずっと、みんな、大したことをしてる訳ではないのかも。そして何もしないことも、大したことではないのかも。もしかすると。

でもやっぱり、教育費って高くつくから、若い年齢のうちに反抗をしておくべきであるように思う。義務教育の時点でこそ、お金の負担が少ないので、積極的に反抗をすると良かったのではないか。

しかし、当時は将来について、とくに進路について多く考えさせられた。だからこそ、今を投げ出すと先がないと思って勉強していた。今思っていることは、ぜんぶ結果論である。

しょうもなくて、改めて自分の考えをこうして俯瞰してみると笑みがこぼれるまである。ずっと今更で、思い出にふけっている時間は愛おしい。真面目に考えてみることとは、素晴らしすぎる。

しばらくぶりに日記を書いてみたものの、こういうのが好きらしい。やっぱり。やっていることも心持ちも、こうも変化した部分があるのに、昔の自分の面影を見ると、やはりこれは紛れもなくわたしだ!と思って、面白くてたまらない。

今日も受験勉強をしたこの部屋で、抱き枕に顔を埋めて、眠るのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?