人と違くありたいという思いへの疑問

いつの時代でも人々は自分が特別な存在でありたい、人と違う存在でありたいと思って生きてきたのだろう。

さまざまな価値観が多様化し、SNSの普及によって自分をいくらでも表現できるようになった現代ならそれは尚更感じることだと思う。

人と違くありたい。自分が特別でありたい。至極当たり前の感情である。しかし、実際にあの人は違うよねと言われる人々はそのように思っているのだろうか。

何かの決断をする際に、みんながやっていない方を選ぶというのは本当に人と違って意思があることなのだろうか。逆に多数派を選ぶことは本当に妥協して流されているだけなのだろうか。

そうではないと自分は思う。自分が正しいと思ったことを選択しそれを全うすればそれで良いのだ。それが多数派、少数派に関わらず自分の意思があることが大事なのだと僕は思う。

多くの人々がやっていることとあえて逆の選択をしたり、他人と違くありたいという思いは結局人と自分を比べてしまうから起きる感情なのだと僕は思う。

その行動には自分の中にある何かを好きと思う気持ちや、情熱はないのだ。ただただ逆を行っているだけ。意思を持ってやりたいことを貫いた結果人々と違くなってしまったのとは全くの別物である。

だからと言ってみんなとわざわざ揃える必要もない。最近、授業で聞いた先輩方の話で、少数派になることを恐れるな。いつかそれが君の希少価値になる。ということをおっしゃっていた。つまりこれも、好きを貫いていいのだという後押しなのだ。

人と比べたくなってしまう時代、比べざるを得ない時代。だけれども、他人と自分を比べて行動するのではなく自分の軸を持って本当に好きなことを、やりたいと思ったことを貫いていきたいなと僕は思う。

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