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アルコール=モラトリアムと思えば卒酒ができる

お酒を卒業して9ヶ月経った。お酒を辞めるなんて思ってもみなかった。成人して約20年、気付けばほぼ毎日何かしらアルコールを摂取していた。休肝日はごくたまにあるだけ。お酒が大好きだったし、今でも好きだ。飲まないけど。
「なぜ辞めたのか?」。理由は両手に余ることがある。お金、体調、時間、数々の失敗。何が一番大きいか、と言えば、私の場合は「精神的な依存への恐怖」だ。とは言っても、「依存が進んでアルコール依存症になってしまう」という恐怖ではない(もちろんそれも大きな要素だ)。「あらゆることがアルコールと共にないと楽しめない」と思ってしまう恐怖。
山に行く。とても楽しい思いをする(怖い思いもする)。打ち上げをしよう! 酒を飲もう! 何らかの理由で飲めなかったりすると「あーあ」。そこで味わう壊滅的な「残念」という感情。楽しかった思いを粉々にすりつぶしてしまうほど、苛烈な「残念」。

何だこれは。

音楽を聴いていても、映画を見ようとしても、本を読んでいても、「手元にお酒が無い」というだけで、この気持ちが胸の奥底からわき上がってくる。残念だ。残念だ。残念なので、そもそも何も楽しくなんてない。

何だこれは。

これを「お酒をコントロールできていない」という状態と言えるのだろうそれに気付いてしまった。私は「お酒をコントロールできない」のだ!

これが最近ではなく、実は約2年前。そして半年、酒をやめた。「もうコントロールできるようになったのでは?」という仮説がでてきた。この仮説を検証するため、飲み始めた。その半年後、同じ「残念」と思い毎日飲み続ける日々。

仮説は検証された。
「私はお酒をコントロールできない」「そして、できるようになることはない」
これが真理だ。

世の中にはコントロールできる人がいる。そして私はコントロールできない側の人間であることが判明した。辞めるしかない。辞めた。

お酒を辞めればバラ色の人生が待っている、という本や情報は多くある。実際、想像以上にメリットは大きいと感じた。その辺は、そういう記事や情報を読んでほしい。だいたい当たっている。得るものはとても大きい。

ただ、お酒をやめるとどうしようもなく「寂しい」気持ちになることがある。常にここ20年、常に手元にあった。無くなってしまう寂しさ。友を失う寂しさ。人生は寂しいものだろうか?

町田康の断酒本、この本は冗長なところもあるが、そこも含めて面白い。この中で「人生はそもそも楽しくないものである」と言っている。それを読んでとても納得がいった。

人生はそもそも楽しくないものだ。だから山や音楽、小説を楽しめる。酒によって楽しさを水増し・ブーストしていただけなのだ。

だとしたら、酒をやめた今こそが一番そういうものが楽しめる!

ということで、「ブーストしない」楽しさをじっくりと味わうことがやっとできるようになった。その喜びがやっと分かってきた。
酒を飲んでたころはもっと楽しかったかもしれないが、それは過ぎ去った過去だ。新しい人生の楽しくなさと楽しさにじっくり付き合っていくのだ。

と思ったとき、「あ、これモラトリアムと一緒だ」と思った。

楽しかった大学。親の庇護によってブーストされた生活。それはそれでとても楽しいものだ。いつまでも居たい、と思うかもしれない。そのまま居続ける人もいる。で、あなたは?

私はモラトリアムを卒業することを選んだ。酒を卒業することを選んだ。少し楽しくないかもしれない。でもそれが人生だ。

楽しくない人生としっかり向き合おう。

そして岩へ沢へ。もうお酒は要らない。ただそれを楽しめばいい。自由だ!

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