「書きたい」という欲望に実直に答える

最近、文章を書きたいという欲望が強くなってきている。なぜそうなのかを突き詰めて考えると、「考えたことを外に出したい」という根源的な欲望があることに気付く。誰かに認められたい、という承認欲求ではなく、そのままアウトプットしたい。脳髄の奥と世界とか直で繋げたい。
この欲望の質は登山やクライミングにも似ていて、誰かが見ることが重要なのではなく、常に世界へアクセスしている状態であることが重要だ。

フミコフミオ氏の上の本を読んだ。タイトルは若干ミスリーディングで、「文章をうまく書ける」本では無く「人生において文章を書くということをどう位置づけるか」ということについて書いている。様々示唆に富んでいてとても良い。
何がともあれ一歩を踏み出すことが重要だ。何か大切なものを残そうとするのではなく、少しずつでも心の中のものを文章として形にしよう。恐れを取り除こう。
自分に書けることは何か? と考えると、ここ10年ずっと山に登ることに取り組んできた。運動神経が全く無く、体育会的な世界観を憎み、登山などにまったく興味の無かった自分。ふとした弾みでなぜか登山にハマり、ずっとなぜ登山をするのか悩みながらも嬉々として続けている。
特には死にそうな思いをしながら。

山に登るのは本当に変な行為だ。生きるのと同じくらい狂って意味不明な行為だと思う。だからこそ続けなければならない。
この確信に満ちた大いなる誤解について考え続ける過程を書いてみようと思う。できれば毎日。どこまで続くかは分からないが、まずは動いてみる。

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