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旅 終

夢のような生活をした2週間だった

と、まず滞在記にも書いてきました

本当に夢のような時間で、帰り道、今、至る所で泣きながら帰ってます。駅までの車も、電車の中も、なんならこれを書きながらも泣いてて、そのくらい、ぼくの中で大きなものだったんだなと、離れてみて自覚しました

20人弱くらいで、共同生活していて、
着いた時は、本当にこんな空間で生活していけるのかって、不安に思ってました。そもそも人と関わるのはあまり上手ではないし、どうやって関わっていけばいいか悩んだし、やっぱり難しいって感じた。でも、それはもともと人見知りなのもあって。
そもそもあの空間、誰かと話さないで暮らすほうが難しくて。何かしら自分で声をかけなきゃいけないし、そうやって次第にあの空間の中に自分の居場所を見つけたら、案外それがうまくはまって、気がついたら、離れるのがとても悲しくて寂しいくらいになっていました

色んな人とこんなに関われたのは、とてもいい経験値になった

自分の生活からは非日常で、でもそれが日常に変わった瞬間がどこかにあったんだと思うと、それはとてもしあわせなことだと思う。

みんな、暖かい人たちだったなぁ💭
前に会ったことのある人も何人かいたけど、その時は人見知りすぎてあんまり話せなくて、それが当時の心残り、でした。
でも、今回の生活でたくさんお話しして、色んな人から見た自分を知れた気がします
他人軸の自分が増えて、それは自分の広がりを感じるし、誰かと関わってないと見れない自分だったという気づき。

滞在自体は、とてもとても夢だった
濃厚すぎて、しばらく何も手につかない寂しさを覚えてしまう


そして、旅をしてみて、
見えた未来は本気だった

本気で何かに向き合う人をずっと見てきて、やっぱりこっち側に立っていたいと思った。かっこいいもん、そっちの方が。
自分のやりたいことをまっすぐ貫いて、まっすぐ前だけしか見えないくらいの、みんなのかっこいい、を、たくさん見て、やっぱり自分にもそのかっこよさがあって欲しいと思ったし、あるためにはこっち側で生きていたい

正直、自分の自我を曲げるくらいならこっち側じゃなくていいって考えていたけど、そうじゃないのかもしれない。
自我は、自分の創造力で、そこに何を作るか、何を見るか、何を見せるか、は全部自分次第で、自我なんだと思った。
とはいえ、なにか一つに絞ってしまうのはやっぱりぼくには違う気がするから、この先の未来の描き方をもっともっとちゃんと考えようって思った。

ビジネスだってなんだって、本気で向き合うのであれば、そこに自分はちゃんといて。

技術がなくても、だめだめでも、それでもこっち側がいい

こっち側の世界に、ぼくは何ができるんだろう

まっすぐ向き合ってる人たちに、ぼくはなにができるだろう

旅の終わりに、新しい旅の予感を見てしまう


旅、終わらないで欲しかったなぁ
でも、終わってよかったなぁ

変な気分


色んなほんもの
見てみて、
やっぱり自分もほんものがいい、なりたい

どこかの世界で、ほんもの、になっていたい

ネウ

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