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朝バイトの功罪

朝のバイトが終わった後、今日はなんとなく外の空気を吸いたい気分だったので、いつもの公園のベンチで文献を読んでた。
ずっと私が座るベンチの近くで、おばさま二人連れがおしゃべりをしていたのだけれど、立ち上がったと思ったら「あ、虹だ!」と割と大きめな声で空を指さしていた。
何度も「虹だ!虹だ!」と声を出して喜んでいらっしゃった。
思わず同じように空を仰ぐ私。今日は朝からカラカラに晴れていて、虹なんて見えるんだろうかと思っていたけれど、逆U字型の、見たことないタイプの虹がかなりはっきりと綺麗に見えて、なんだか嬉しかった。

おばさまが「虹だ!」と大きめの声で言ってくれなかったらきっと気がつかなかったと思う。感謝している。私もこれから綺麗なものを見つけた時は、周りの人にも聞こえるような声で喜ぼう。幸せのおすそ分け。


私はずっと朝にバイトをしている。かれこれ3年半くらい。
朝から働けば、バイトが終わった後も1日が残っている(むしろバイトが終わってから1日が始まる)のがなんだかいいなと思って、朝のバイトを選んだ。

実際に朝働いてみると、確かに1日は長く感じる。
バイト終わってからでも遊びにいけるし、働いてから大学に行っても間に合ったりする(2限ならギリギリ間に合う)。

でも、最近気づいた。朝って大体みんなイライラしている。
みんなは言い過ぎた。でも、2人に1人くらいはイライラしている気がしている。

うちのお店の客層はおじいちゃんおばあちゃんが多めだけど、朝の時間帯はこれからお仕事に行くであろう方々のご利用が多い。
みんな何の仕事をしているのか、これから電車やバスに乗るのか、それともさっきまで乗っていてここら辺に仕事場があるのか、わからないけれど、大体みんな急いでいる。

商品をお渡しするとすぐさま店を出て行ってしまう。
レジ袋はご利用ですか、値段はいくらです、おしぼりおつけしますか、お会計失礼いたします、何円のお返しです、お待たせしましたお品物でございます、ありがとうございました、
の最低限のコミュニケーションしか取らない。
お客さんも「はい」「いいえ」の最低限の言葉しか話さない。

のんびり商品を選ぶおばあちゃんの後ろに、明らかに急いでいる様子のお姉さんが並ぶと、とてもざらざらした気持ちになる。
おばあちゃんに自分のペースで商品を選んでほしい。でもお姉さんの苛立ちを鎮めたいからできればもうちょっと選ぶペースを上げてほしい。そんな葛藤が私の中に生まれるのだけれど、そういう時に限って、おばあちゃんはゆっくりとお会計をして、お姉さんの顔はどんどん険しくなっていって、私はひたすら心の中でどうしようどうしようと焦ることしかできない。

商品を渡した直後に、店から走って出て行かれると、なんとも言えない気持ちになる。
私はどんな時も、自分にできるいちばんの速さで一連の流れを終えるようにしているのに、これでも足りないのかと、どっと押し寄せるやるせなさ。

前に、商品を袋に詰めはじめて間も無くして「商品いただけますか?急いでるんですけど」って言われたことがあった。
イメージ的には、店員さんがミスドの箱にドーナツを詰めている途中に「商品ください」って言われているような状況。サーティーワンの店員さんが、アイスを盛り付けている途中に「商品ください」って言われているような状況。今まさに渡そうとしているのに、商品くださいって言われても、え、今入れてるし、まだ箱に入っていないドーナツはそのまま渡せばいいんですか? みたいな。今カップに盛り付けようとしていたところですけれど、このアイスあなたにそのまま渡せばいいんですか? みたいな。そんな困った状況。
その時、別にのんびり詰めているわけでもなかったし、そう言われても、今商品詰めて渡そうとしているんですけど。私はこれ以上どうすれば?
その一言でかるく狼狽してしまって、むしろ商品渡すまでの時間若干伸びたし。その日はバイトが終わってから、夜寝るまでずっと「あの時すごく嫌な気持ちになったなあ」ってちょっとへこんでしまった。
きっとあの人はそんなこと言ったなんて覚えていないんだろうな。

もっとお客さんとの会話がしたい。
おすすめを聞かれたときに、説明する時間がないからって「〇〇と〇〇です」とマニュアル通りに答えるのは嫌だ。「甘いのか、辛いのか、しょっぱいのだったら、今どういう気分ですか?」ってもっと丁寧におすすめしたい。
小銭をゆっくりゆっくり出すおばあちゃんを、のんびりと待ってあげたい。
どれにするか、迷って迷って、なかなか決められないお客さんに「たくさんあるから迷っちゃいますよね〜ごゆっくり選んでくださいね〜」と声をかけたい。
仕事と関係ない余計な話を楽しみたい。

でも朝に働いていると、なかなかそうは行かない。
おじいちゃんとゆっくりお話しなんてするもんなら、誰かを殺気立たせることになってしまう。
誰かが電車やバスに乗り遅れてしまうことにもなりかねないし、そのせいで大事な予定に遅れてしまう人だっているかもしれない。
のんびりゆっくり物事をこなして行く人(とそれを見守る店員の私)の心の平穏よりも、時計の針に追い立てられている人たちの苛立ちをいかに増幅させないかに重きが置かれるこの世界。

そもそも、私がやってるみたいなレジ業務って、お客さんとの繋がりが本当に弱いし脆い。
常連さんとはなんとなく関係ができてくるけど、でも名前はわからないし、どこに住んでいるのかも、どんなお仕事をしているのかも、そのお客さんが話してくれない限り、私は知る由もない。
その人が店に来なくなってしまったら、この関係はもう終わってしまうのだし。

1人のお客さんへのレジ対応に、私はどれくらい時間を使っているんだろう。早い人だと1分もかからない。
お客さんが来て、必要最低限の会話をして、帰って、またお客さんが来て、ほんの少しだけ話して、帰って。
数分、数秒の間しか保たれない、その人が店を出たらパチンと消えてしまう、まるで泡のような関係性を、これまでいくつ作ってきたのだろう。

接客やサービス業が好きだと言う人は、きっとその一瞬の中に笑顔を作り出したり、一期一会の出会いの中に強烈にインパクトを残すような体験を提供したり、そういうところに喜びを感じているんだろうなと思う。
それはとても素晴らしいことだと思う。たとえ自分の顔や名前を覚えてもらえなくても、相手の名前や素性を知らなくても、その人のために一瞬一瞬の中に思いを尽くすということは。

でも、私は一瞬にしてなくなってしまう関係性が、どうしても悲しいなと感じてしまう。あくまでも、私は。
もっともっとじっくり関係を築いていきたいし、相手のことをもっともっと深く知りたい。
名前のわからない不特定多数ではなくて、相手にするのが少数だとしても、明確に「この人のために」仕事しているんだなって思うことができるような仕事の方がしたいのだということに最近気づいた。気づけた。

ということを思いながらも、3年半もこのバイト続けてるのか。
やるな、私。いつまでやってるんだろうな。
お母さんにバイト変えよっかなって言ったら、バイトより先に見つけるものあるんじゃない?(つまり卒業後の就職先)って言われて、ぐうの音も出なかったよね、昨日の夜。


ただ、たまに「ここのお店のは本当においしくてね、いつもわざわざ遠回りして買いに来るのよ」みたいなことを、こちらが聞かなくとも自発的に教えてくださったり、こちらが「ありがとうございました」というと、本物の笑顔で「ありがとう〜」「お世話様〜」と私の目を見て言ってくださったりする、優しさの化身みたいなお客さんもいて。そういう方々に救われながら、今までやってこれたということは強調しておきたい。

さあ明日もバイトです。
がんばります。


恐れ入ります。