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平和記念公園に御託はいらないと思うの~生きてるだけでよいのです(ときの移活 広島編)

今、この瞬間に訪れることができてよかった場所No.1が、平和記念公園でしたね。
早すぎても、遅すぎてもいけない感じ。

JR広島駅からバスなり市電なりで平和記念公園に向かいます。
歩こうと思えば歩ける距離感でもあります。
私は行きはひとまずバスで向かいました。

HIROSHIMAの後ろにあるのが
平和記念資料館と本館
祈りの泉

ここにきたら絶対入るべき場所、広島平和記念資料館へ。
これも朝イチで行ったんですけど、もうすでに人が並んでおる……!
外国人も結構いるなぁ。
とはいえ平常運行なのか、そんなに待たずに館内に入れました。

資料館館内はフラッシュはNGですが、写真撮影ができます。

スマホのフラッシュのコントロールができないというのもありますが、メンタルをゴリゴリに削ってくる展示をみながら写真を撮る元気などないのです。

入館してすぐに「お子様や精神的に自信のない方は入館をお控えください」みたいなことがマジで書いてあります。
正直、私もぎりぎりだったし、小さい子が一人、泣いてましたね……。

平和記念公園のレストハウスにあるのですが
この手の展示がしこたまあります。

いいつつしっかり見てきたんですけど、資料館と本館、それから企画展示されていた広島戦災児育成所の資料も全部本気で見てたら。

午前中いっぱいかかりました。
中には一日かけて見る人もいるらしいです。
そんなことしたら、息が詰まってしまうわ……。

なんだろう……。
人って誰でも死ぬ時は死ぬんだなって思って。

生前何を成したのかとか。
お金をどのくらい持ってるとか。
そういうのって死んじゃう時って本当に関係ないんですよね。

壁は吹っ飛んで白くなって歪むし。
それ以外の建造物も「目の前にあるから実際に起こったことだってわかるけど、どういう理屈でこうなるわけ?」って言いたくなるような変形の仕方をしてるし。
ヘソクリは燃えちゃったりとか溶けちゃったりで使い物にならなくなってるし。

原因がなんであれ、このレベルで追い込まれるとさ。
政治家だとか、医者だとか、なんか社会的に偉いとか、貧乏だとか、マイノリティだとかそういうすべてのことが。

関係なくなるんだなぁと。

復興を考えると関係ないとは言えないんだけど、一生命体として生きるか死ぬかって次元ではもうそこに差異はなくなるなと。

じゃあ、誰が何を言おうと好きなことやって生きてたほうがよくない?

これを読んだ一時間後によくわからない理由で日本列島が粉砕したとして。
できうるかぎり好きなように生きていたら「まぁ仕方ないな」と思って死ねると思うんだよね。

生きてるからさ。
生きてる間に何かを成すことができればそれは素晴らしいことだけれど。
何も成すことがなくても、残すものがなくてもさ。

生きてるだけでいいんだなって。
「生きてるだけで『マル〇』」なんだなと。

そういう風に実感した場所でしたね。
ただ「もっと若いうちにこれをみて実感できたか?」というのはかなり微妙で。

もっと若いころに来たら「だからこそ何かを成し遂げなければ!」とさらに生き急いで絡まってたんじゃないかなと思うし。

子どものころに学校教育の社会科見学できていたらと考えると、ちょっと難解かもしれないと思うのと、それこそトラウマになりそうな内容だなと。

ちなみに子どもも何人かきてたけど【退屈】している子どもは一人もいませんでした。
それぞれに何か感じるものはあったみたい。

そんな感じの場所なので「今行かないといつになるかわからない」という外国人の子どもは別として。

日本人は「歴史の授業とか小さい博物館とかで『そういったことがあった』というのだけ知っておいて、大人になってから学びに来る」でいいと思います。
無理しないの、大事。

腹ごしらえして明るいところを散歩します。

平和記念公園

「この世界の片隅に」でもそうだんですけど。
この公園がある場所ってもともと結構栄えた繁華街なんですよ。
すずちゃんと周作さんの出会いの場所なのですよ。
それが原爆で焼け野原になって。
今は青々とした美しい公園になってるわけです。

100年経たないうちに、この変わりようですよ?

感じ入るものがありますよね。

被爆樹木 アオギリ2世
今も残りし記憶と記録

外国人観光客が多いのはどこもそうなんですけど。
平和記念公園はムスリム系かなとか、インドとか仏教系かなと思わせる人が特に多かったですね。

平和の灯
たくさんの平和への願い

これは石碑ですが、樹木とか「平和のために寄付します」と記されたものがたくさんあります。
「世界平和」は世界共通の願いで。
それを望んでいる人がたくさんいて。
その人たちの意思もとい意思表明がここに集まってるんだなと。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
実は私の友人のお父様が被爆者だったらしく
ここに名前が載ったそうです。
被爆療養で北海道に来たのだとか。


資料館の反対側まで歩ききった向こう岸に、ついに。

原爆ドームが。

平和記念公園から見る原爆ドームと街並み

晴天であることがもたらす対比と複雑さ……。

撮りようによっては廃墟そのものである
この外壁、本当は緑ぽい色だったらしい
天気が、よいです……。

今でも平和記念公園に行った日を思い出すと切なかったり考えさせられたりで、身の締る想いがします。

一日しっかり、感じ入るものを感じたら、今度は市電に乗って見ることに。

広島の市電はパッと見たところの走り方や機能面は、バスとあんまり変わりません(・_・;

それでもなんか「市電は市電」な感じがしてロマンがあります。

路線がたくさんあるので電車ぼくもある

宮島からの帰りも市電にすればよかったかもとちょっと後悔しました笑

今日はこのくらいで。
またね。

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