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自殺未遂の未遂の話

🐰このお話は暗いのでメンタルに余裕がある人だけ読んでくださいね!え?止めちゃうの?やめないで🐰

私は15歳の時に鬱病をわずらい、
今も治療中である。

ここ3年くらいは比較的に状態もマシになりつつあり
洗濯や掃除などの家事はほぼ出来るようになったし、
近所への買い物なら行けるようになったし、
移動時間が2時間程度の遠出も
月に1.2回だったら出来るようになった。
そんで、たまーー-に仕事も出来るようになった。
(コロナ渦を理由に今は外で仕事はあんまりしてないけど)
ちなみに、これらは全て
処方された薬を飲んで成り立つ話である。

鬱になって最初の10年は、きつかった。
特に最初の5年は、ほぼ寝たきりだったし
薬が合わずとっかえひっかえしていたので
あんまり記憶がない。
それと、長年の鬱のダメージで
海馬がちょっと故障してる説もある。

鬱病だと、まぁ死にたいという気持ちがメインの生活なんだけど、
私は本気で死のうと思ったことはないに等しいかもしれない。
あったとしても、
ガチで刃物持ってためらいもなくいこうとしました、とか
首吊り用のロープ買ってほどけない方法も習得しました、とか
そういう本格的なことはしていない。

一度だけ、自殺未遂をしたことがあったが、
それも実は、自殺未遂の未遂だった。
こんなの、まじで恥ずかしくて、人には滅多に言えない。
私の周りの病気と闘う人たちは、
結構ガチの自殺未遂をしていらっしゃるのに、
私はそれすらも出来ない、臆病者のプー太郎なのである。

そんなダサい自殺未遂の未遂をしたのは、20歳の頃だった。

当時の私は、
付き合ってた人とある日急に連絡が取れなくなり、
完全に音信不通になってしまった。
そりゃ、鬱病の20歳の女がそんなことになったら、
まぁ大体お察しだよね。
私は「あれがいけなかった?これがいけなかった??私が悪いの???いや多分私が悪いよねじゃないとそんなことにならないよね???」
となり、まぁ居ても立っても居られない
そんな状況になった。

一日中泣きわめき、泣き疲れて寝て、
起きてはまた泣きわめいた。
当時は実家に住んでいたが、
家族とご飯を食べているときも泣いていた。
家族はそんな私を(たぶんあえて)無視してご飯を食べていた。

彼が住んでいるという駅まで
財布と携帯だけポケットに入れ、
着の身着のまま、各駅停車の電車に一時間半揺られ、
その駅で4時間ほど座り込んで待っていたこともあった。

私の実家は、いつも10時には明かりが消え、
玄関に鍵をかけて両親は寝てしまう。
私の家はお盆のお墓参り以外、
夜にどこか行く、という習慣がないし、
夜中出かけるのは暗黙の了解で禁止だ。
それ以前に一人暮らしをしていた時は、
コンビニに行ったり西友に行ったりしていたけど、
実家ではそれが出来なかった。

木造でできた6畳の部屋で、
私は寝て起きてを繰り返しながら
絶望的な気持ちで彼からのLINEをずっと待ち続けていた。
一カ月が経っても彼から連絡が来ない。

このままじゃ気が狂う。

そう思った私は、夜中の1時過ぎ、
スケッチブックに遺書を書いた。
親や数少ない友達、
初恋の人や今も連絡を待ち続ける彼へ
殴り書きをした。
遺書を書いているという行為が悲しすぎて
私はすでに号泣していた。
ならやめろよ、という話なんだけど
とにかく私はなにかをしたかった。

そして、パジャマのポッケにスマホだけ入れ、
そっと玄関の鍵を開けて、外に出た。

外は真っ暗で、
泣きじゃくる私をすぐに闇がすっぽりと飲み込んだ。
春の匂いがしていて、夜空は綺麗だった。

私は歩きながら
このままじゃ辛いだけだ、
狂う前に死のう、という気持ちと、
ああ死んでしまうのか、
でも、そんなのって悲しいなぁという気持ちで
よく分からなくなっていた。

私はとりあえず、近所で一番高さが高いマンションを目指した。

開けた道には、車がまばらに走っていて、
車のライトは暗闇を切っていた。

さて、マンションを目の前にした私は、
階段を上がろうとしたが、
その場から動けなくなってしまった。

なぜなら、
「あのマンションに住む人に見つかったら、
私がマンションの住人でないことがバレるんじゃないか?」
「そしたら不法侵入になって怒られるんじゃないか?」

というような、
すげーしょうもない事でビビっていたからである。

学校の校則をすべて守り、
親の言いつけも守ってきたクソ真面目な性格が
こんなところで発揮されてしまったのである。とほほ。

そのマンションはオンボロで、
三階建てくらいしかなかったし、
あんまり人も住んでいなかったので、
多分誰かに見つかっても何とも思わないはずなのに
誰かに見つかったらどうしよう…という点にビビった私は、
しばらくその場に立ち尽くしていた。

ふとスマホを見ると、
母と姉から沢山着信が入っていた。
留守電には母が泣きながら「どこにいるの?帰ってきて!」
と懇願する声が入っていた。
今もその声は耳に張り付いている。
悲しい声だった。
私はそれを聞いて、泣いた。
母を動転させてしまっていることに対する罪悪感が大きかったのと、
死にたいのに、しょうもないことを気にして、
マンションに入っていくことすらできない自分が情けなくて、
私は頭がパンクしそうになった。
とにかく早く歩いた。
心臓が何処にあるのか分からなくなっていた。
混乱した頭だけが私に取り付いている。

誰か私を殺してくれないかな、と思い、
過ぎていく車をぼんやり見つめた。
車の前に突然飛び出し
バコーンと跳ねられる想像をしてみたけど、
車に乗っている人に迷惑はかけられない。

死にたいけど勇気が全然出なくて
どうしようもない状態のまま、
ブクブクとパニックで膨れる頭を抱えながら、
すすり泣きをしつつ道路沿いを歩いた。

そして、
ふと道路沿いの歩道に寝てみることにした。
誰か知らない人がここを通り過ぎたときに、
気が付いてもらえたらいいなと思った。
なんかもう、家族以外の誰かに
構ってもらえたらそれだけで
気がまぎれそうな気がしたからだ。
このパニックでパンパンな脳みそに
なにか普段起こり得ない刺激を与えたら
シューッとしぼんでいくのでは?

しかし、10分寝そべっても人は通り過ぎない。
そりゃそうだ、真夜中の田舎なんか誰も歩かないもん。
私は寝そべりながら、土の匂いとか、
ふんわりと体に当たる雑草の感触を感じつつ、
泣きすぎて頭痛がする頭で
「私って本当に中途半端だな~」と思った。
夜風が気持ちよくて
そよそよ私の涙を乾かした。

鬱病は寛解するのに
早くても二年かかるといわれているけど、
その時点で五年が過ぎていた。
毎日苦しくて死にたいと思っていたけど、
今までで一番、今日が辛い。
恋人と生まれて初めてクリスマスを過ごしたし、バレンタインデーもした。
二週間に一度のデートを楽しみにしていた。
そんな、私がやっと掴んだ小さな希望が
なんでか知らないけど無くなった。
これはもう死ぬしかないでしょ。
だって明日も絶対辛いし、
多分この病気は何年も私を苦しめるだけだ。
死ぬしかないでしょ。

しかし、一歩が踏み出せない。
こんな状況になっても、
私は他人に迷惑をかけたくないし、
怒られたくないのだ。
(この時点でめちゃくちゃ迷惑をかけているんだけど)
それに、いつも死にたいときに頭をよぎるのは、
私が産まれる前に亡くなった兄の事だ。
もし私が死んだら、
私の家は子供を二人亡くすことになる。
それは、流石に家族がかわいそうだ。

畜生、死にたいのに。
なんでこんなことになるんだ。

歩道で横になった私は、
むくりと起き上がった。
そして、歩いていくと、警察署が見えてきた。
私には、駆け込み寺のように見えたので、
ずるずるとそこに入っていった。

すると、
私は警察署に入って一言二言
説明をするなり、
めちゃくちゃに怒られた。
「ここはどういうところかわかっているか?」
と聞かれ
「人々の幸せを守るところ…?」
と答えると
「違う!!!!!」と警察のおじさんに怒られた。


怒られないためにマンションに入らなかったし、
迷惑をかけないために死ななかった。
しかし、結局怒られ、
人に迷惑をかけたことに気が付いた私は、
後悔やら悲しいやら色んな気持ちが混ざり、
わーん!と大声で泣いた。


おじさんへ
当時は迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。
でも、人の幸せを守るところっていう答えは
間違ってはいませんよね?


やがて、警察署の椅子に座った私は
色んな気持ちや感情のジェットコースターに疲れ果て
頭も働かなくなってきた。
私は、音信不通になった彼の名前をふと呟いた。
呟くと止まらなくなって、
私は○○さん、ごめんなさい
と呟き続けた。

間もなくして両親が駆けつけ、
私は父の運転する車で帰ることになった。
母は心配させないで!と泣いていて、
父はほっとしたのか、笑っていた。
何かあるとすぐ怒鳴り散らして
母や私を殴る父だったので
ぶん殴られるのも覚悟していたが、
相当心配していたのだと思う。

帰りの車の中でも私はずっと、
彼の名前を念仏のように唱え続けていたけど、
父は笑いながら、
「良かったな、もう安心だ」と言って車を運転した。
母も泣きやみ、
「お腹空いたね。コンビニで菓子パンでも買おうか」
と言って、コンビニに行った。
家に着くと、私は泣き腫らした顔のまま、
白あんのパンをがぶりと口に入れた。
パンを食べているうちに、
お腹がすいていたのを思い出したのだった。

こうして自殺未遂の未遂は
私の中の
とんでもないクソ雑魚ナメクジエピソードの1つとして
刻まれることになった。 
周りを振り回して生きている実感を得ている行為は
ボーダーって感じもするね。
最悪すぎてびっくりしちゃうね?
私は書いていて自分でびっくりしています。

で、死ねなかった私は生きることになったのだが、
その後も生き地獄を味わう羽目になり、
精神科に入院を希望し、
希望はすぐに叶い入院したのだが、
精神科病棟での入院は予想以上に過酷なもので、
(閉鎖病棟ではなかったのに閉鎖病棟並に厳しい所だった)
私が人生で1番戻りたくない場所になった。
退院したあとの実家でも、
別の苦しみに悩まされることになる。
入院の話やその後の話は、
流石にまだ辛すぎてここに書くことが出来ない。

しかし今回のこの自殺未遂の話は
自分の中で消化しつつあるので
こうやってオフィシャルな場で(?)
書けるくらいにはなった。

それから何年も何年もかかったけど、
やっと自分に合った薬の種類や
量を主治医と見つけることが出来て、
私も少しずつ自分で出来る事が増えていった。
両親(主に父)には問題はあるけど、
経済的な面ではサポートしてくれたし、
大人になってから出来た友達は
病気を含めて私を理解してくれた。
(…と思ってます。違ってたらごめん。)
(でも少なくとも私はそう思っています)

もちろん、近年はとても幸運なことに、
人生のパートナーとも出会うことができた。

結局は「理解ある彼」かよ?
って世の中は思うんだろうけど、
そもそも鬱病の苦しみは
幸せな結婚をしたからといって変わる訳では無い。
その人とその人の頭との戦いでしか無いわけだから、
理解のある彼や仲間がいても
直接的に病気に効く訳では無い。

私はまだまだ死にたさや消えたさを抱え、
鬱病に苦しまされ続けている。
寛解するにはまだ何十年もかかると思っている。
上にも書いた通り、
身の回りの事や外出時は
昼間用の薬を飲んで始めて成り立つものであり、
寝る前に飲む薬は、睡眠薬や向精神薬4種類で計6錠。
薬が無いと眠れないし、
薬がないと外で買い物をすることすらままならない。

薬の副作用はえげつないほどの食欲増進作用があり、
あっという間に15kg太った。

なんでこんな病気になってしまったんだろう、
どうして皆と同じように出来ないのだろう、
この前は出来たのに今はなんで出来なくなっちゃったんだろう、
私は何もかも全て中途半端で生きてる価値なんか無い、
生きてるだけでお金がかかる、
死んじゃえ!
そう思う。

でも生きているのはなんでか。

私は、実際に自殺や自殺未遂した人達より
遥かに恵まれているからだ。
だって、死のうと思うと、
親が可哀想だと思うから。
親に対して、可哀想だと思うってことは、
親を愛しているということだ。
それに、私より早くに亡くなった兄の存在が、
私に死ぬことを思いとどまらせてくれる。

自殺未遂の未遂エピソードなんて、
めちゃくちゃダサい。
恥ずかしい。

でも死ぬ勇気がないから今こうして生きている。

こうして十数年経って
真面目が故に死ぬ勇気が出ないなんて、
自分らしいなぁと少し心の中で笑えるようになった。
ダセェが、それが私だ。
自分のダサさを認められるようになってきた。
いやまぁまだ認めたくないけど、

私は相変わらずダサく、情けなく、
ぼさぼさの頭によれよれのTシャツ姿のまま

こうしてまた夏を乗り越えようとしている。







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