見出し画像

東海道珍道中Day 1 江戸日本橋→神奈川宿~日本一テセウス船な奴~

前回の記事はこちら

登場人物:
田内(仮名):私。社会人3年目。仮名だから、読み方は「たうち」でも「たのうち」でも「でんない」でも、思い思いの好きな読み方で読んでくれればいい。
中山(仮名):会社の同期で東海道の考案者。東海道三種の神器を持っている。
松田(仮名):会社の同期で東海道の同行者。背が高くストライドが大きい。

日本橋→品川宿(11.6km):

2021年9月26日の朝、中山と松田と東京駅で集合し、缶コーヒー片手に東京駅からスタート地点への日本橋へと向かう。

日本橋につくと、さっそく発案者の中山が動き、A4でプリントアウトした歌川広重「東海道五十三次」の日本橋の絵をリュックから取り出す。
中山は発案者だけあって、歌川広重の各宿場の絵を自前でプリントアウトしてきたらしい。
まずは松田が絵を持たされて、アメリカの囚人みたいに日本橋麒麟像の横に立たされ、写真をパシャリ。
そして田内→中山の順で写真を撮影し、日本橋にいたというアリバイ工作はばっちり。金田一が来ようが江戸川が来ようが勝てる自信がある。

この後も全ての宿で同じようにその宿場の絵を持って写真を撮るようになるわけだが、いつからかこの行為はチェックインと呼ばれるようになっていったから、この記事でも以降はチェックインと呼ぶ。

記念すべきチェックイン第一号は松田。この体の角度からわかるように、この写真をメインで撮っているのは私ではなく1カメの中山。

最初のチェックインを終えると、中山は次に地図本「ちゃんと歩ける東海道五十三次」を取り出す。ドラえもんくらい手際がいい。
中山が持ってきたこの本はいわば東海道の攻略本みたいなもので、地図上でどれが旧東海道の道なのかがすぐ分かる、家庭科の糸通しくらい便利な一品。即座に広重の絵と攻略本は三種の神器認定。
中山は普段の仕事もそつなくこなすタイプで、日本橋から一歩も歩かないまま東海道の旅でもその抜かりなさが発揮されたワンシーンだった。

日本橋にある里程標。いくら何でも京都は遠すぎる。

チェックイン写真もストーリーにアップし、攻略本も持ち、万全の装えで、次の品川宿に向けていざ出発。もちろん体力も気力もMAXで、元気に会話しながら歩き始める。
まず早速目に入ってきたのは日本橋三越本店で、風格に満ちた建物構えに圧倒される。次にある三井記念美術館など、これが日本の首都だといわんばかりの建物の間を抜け、先に進むと神田駅が見えてきた。

神田駅???
山手線ゲーム経験者ならば気づいているかもしれないが、東京駅から品川駅の方に歩くと、神田駅が見えるはずがない。
なんと一行はいきなり堂々と正反対の方向に歩いていた。何が抜かりない・そつがないだ。前言を撤回し、踵も返して本来の道に。
 
ドーハ級の悲劇から立ち直り軌道修正して銀座→新橋と歩くも、そもそもこの区間はただのビル街で東海道的な醍醐味があまりにもなさすぎる。
初日の午前中にして一行のモチベーションはどん底に達し、浜松町~田町あたりで「あ、東京タワーだ」と、修学旅行で初めて東京来た中学生くらいハードルの低い空虚な会話を続ける。
東京で3年間働いているサラリーマンが「あ、東京タワーだ」なんて発言したの、日本史上初めてじゃないだろうか。
こんな情けない姿を中学生時代の自分に見られたら、浅草の仲見世で売ってる木刀で牙突されかねない。

美術の教科書の遠近法の紹介こんな感じだったよね

そんなこんなのトラプルがありながらも、高輪ゲートウェイ駅を超え品川宿へ。

品川宿→川崎宿(9.8km):

品川についたころにはもう1時を過ぎていた。
何か食べないとやってらんないということで、ルート上のそば屋に入る。
色々メニューある中で、完全に偏見だけど、東海道と言えばシンプルそばだろうという何の根拠もない先入観があり、迷わずシンプルそばを頼む。

シンプルそばが出てくるのを待つ途中、壁面に東京~京都の五十三次マップがあるのに気づく。
長いなあ、すごいなあ、とか思いながらぼんやり眺めているうちに、3人はある大変なことに気付いてしまう。

記念すべき最初の昼飯どころ。

そう、こんなに歩いたのにまだ五十三次のうち一次しか進んでいない。あと52倍これ繰り返さないといけない。
「こんなに歩いたのに」の中にはお手つきだった日本橋⇔神田駅間も含まれるから自業自得な部分もあるが、とにかくそうこうしてはいられない。
シンプルそばを食べ終わるとすぐ店を出て歩き出す。
 
少し歩くと品川宿の碑があったから、ここでチェックイン。
さっきと同じように3人交代で写真を撮り、欠かさずインスタにアップ。
 
インスタ開いた時、ついでにさっきの日本橋はどんな感じかなと中山のストーリーを見て驚く。
松田の写真では「#松田と行く、旧東海道の旅」とハッシュタグ付きで丁寧に登校している。
それに引き換え、私の写真は「田内もいるよ。」とまるでおまけかのように、ハッシュタグ抜きで投稿されていた。
 
これはキングデビルカードくらいむごすぎる。中山に対して厳重に抗議を行い、最も強い言葉で非難した。

品川宿碑と本物のめるる。

品川宿の碑を超えると、それまでのビル街から、街道っぽい歩道に道が変わり、風情がます。
特にこの辺りは街道沿いに寺や神社が多く、江戸時代の面影が残っていて、同じ一本の道なのに完全に都会化した東京駅らへんとの対比が面白い。
やがて鈴ヶ森刑場を抜けて、しばらく歩くと平和島あたりを通過する。名前的には鈴ヶ森刑場の方がいかついが、令和の現在では多分平和島より鈴ヶ森刑場の方が平和。知らんけど。

コンセプトが全部分からん。

その先の梅屋敷、京急蒲田を超えると神奈川県境が近づいてきて、この辺りから、今日はどこまで行くか、というよりどこで切り上げるか、のペース配分争いが勃発する。
田内と中山は2宿先の神奈川宿までで済ませたいと考えているのに対して、ストライドの大きい松田は3宿先の保土ヶ谷宿まで行きたいと言い張る。
2vs1の戦いが続き、先頭を歩く松田はペースを速め、それを諫める田内・中山の構図に。
 
だがこれは必勝法があり、単にゆっくり歩けばいいだけ。
というわけで田内・中山は1-0でリードしている後半40分のノリで、寄らなくていいコンビニによってゆっくりグミを買う、ネイマールくらい転がり回るなど、遅延行為を繰り返し、マリーシアで勝利。
 
そんなこんながありつつ、ついに多摩川に。
河川敷で野球をしている少年団を横目に「六郷の渡し」を超えると、ついに神奈川県に突入。三笘のドリブルくらいするするあっさりと県境をこえ、久々に徒歩で県境をまたいだことにプチ満悦しつつ、川崎宿へ。

重工業の街ではない

川崎宿→神奈川宿(9.5km):

川崎宿の交流館前でチェックイン作業に勤しむ。
この交流館前にはモスキート音がなっていて、中山と田内は苦悶しながらチェックインを済ませたけど、なぜか松田だけノーダメージだった。いや同世代やろ。
というか若者といえど交流館前でたむろする絵が浮かばないが、モスキート音がなるほどコンビニ張りにたむろするのだろうか。

モスキート音だからこんなにも苦悶の表情

そして川崎宿についた時点で16時。もう慌てるような時間だ。翌日仕事あるのがきつすぎる。
この辺りからストーリーに視聴者の皆様からちらほら楽しそうというリプライが付き始めるが、こんなに辛くて楽しいわけがない、経営陣は現場を分かっていないと3人そろって悪態をつく。
それにしても自分たちでやっているイベントに対するツッコミが楽しいわけがないなんて、情緒がどうかしすぎてる。悪の教典か初恋の悪魔の伊藤英明くらいどうかしている。海猿の頃を思い出してほしい。
 
川崎宿→神奈川宿の区間は、芭蕉の句碑とか生麦事件の跡とか、色々東海道のエピソードつまってる区間なのに、夕方になってきたから「先を急げ」を合言葉に全スルー。生麦事件の跡は写真をサラッととるだけ。
というか生麦事件って薩摩の単語が頭の中で先行して鹿児島で起こったとずっと思いこんでたけど、まさかの神奈川だったんか。

最後の後半は暗くなるし道もただの国道で、面白みのない中でひたすら作業のように歩く。体感的に一番長くつらい道のりだった。
30km近く歩いてきて足の裏が痛くなってきたから、赤信号で信号止まる度に展示ブロックで足つぼマッサージして回復して進む。

19時を過ぎて、なんとか神奈川宿(東神奈川駅らへん)まで到達して初日はこれで終了。
神奈川まで進むのも割とハードな1日だった。こういうのは時間はあるけどお金がない学生時代にやるべきで、時間はないけどお金がある社会人時代にやるイベントではない。

大きな絵が据え置かれているのにわざわざ隣で絵を持つのは意味がない

次回:
スターウォーズの楽しみ方をしたい人はDAY 8 由比宿→江尻宿へ

順番通りにガイドブック的な楽しみ方をしたい人はDAY 2 神奈川宿→藤沢宿へ


いいなと思ったら応援しよう!