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坂口安吾の「小説は」超訳

2017年3月13日  facebook投稿

「●●とは何か?」ということを考えさせられる行事にいくつか行ったもので、坂口安吾のことを思い出しました。

坂口安吾の「ドストエフスキーとバルザック」より。

<小説は奇々怪々な運行に支配された悲しき遊星、宿命人間へ向つての、広大無遍、極まるところもない肯定から生れ、同時に、宿命人間の矛盾も当然も混沌も全てを含んだ広大無遍の感動に由つて終るものであらう。小説は感動の書だと、私は信じてゐる。>

超訳「小説は、なんだかわけのわからないものに突き動かされて書いてしまう、ゆらゆらとして定まるところのない遊星のようなものです。それだから、人間というものに対して、とても広くて大きく、どこまでも人間を肯定して受け入れるという態度から小説は生まれるのです。だからこそ、人間がとる言動が矛盾していようが、当たり前であろうが、むちゃくちゃであろうが、それらを全部含んで、広くて大きい感動のストーリーを書かないといけないんです。小説は感動の書だと私は信じています。」

「小説」というものを「アート」や「映画」とか、それこそ「人生」に置きかえてもよいのだと思いました。でも「人生は必ず中途で終わる」ということもありますしね。南無三。

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