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おっさんのセクハラ考

2014年6月21日 facebook投稿

<プロジェクト担当者より補足>
以下の本文(FB投稿)冒頭の「セクハラ発言」とは、2014年6月18日、東京都議会本会議にて、当時みんなの党会派議員だった塩村文夏氏が、妊娠や出産に悩む女性への支援策について東京都側に質問していた際に、「自分が早く結婚したらいいじゃないか」「産めないのか」といった「セクハラヤジ」を受けたことを指しています。

当時のニュース映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=rOnSb06nHJQ
(補足ここまで)

図らずも、セクハラ発言のせいで「おっさんのセクシュアリティ研究」(笑)を進めなくてはいけなくなりました。未確認ですが、暴言都議に団塊世代が含まれているということがささやかれています。その事実確認とはまったく別に「団塊世代のセクシュアリティ」を思い出してみました。

基本、団塊世代は「男尊女卑」です。若い女性はみな「おねえちゃん」です。学生時代に反体制というか反道徳の空気があったのでセックスは比較的自由になりましたが、会社に入るともてなくなりますので屈折した女性憎悪に陥ります。上司になって権力を持つと「おねえちゃんを自由にしたい」という欲望にかられます。ここらへんが前提でしょうか。

で、いろいろ具体例です。

・女性の部下の値踏みが大好き
団塊世代は居酒屋で男どうしで若い女性の部下を「あいつはできる、できない」という話ばかりします。できる女性が自分の言うことをきくのがうれしくてうれしくて仕方がないのです。男の部下の話を聞いたことがありません。

・「女を売って仕事をしろ」と考えている
女性が仕事ができるのは「色」のせいだと思い込んでいます。「女売ってでもなんでもネタ取ってこい」と言っているのを目撃したことがあります。

・自分はもてると虚勢を張りたくて仕方がない
女性部下から携帯に仕事の電話がかかってきて、「いま女と別れ話の最中だから忙しいんだよ」と言っていたのがいました。ちなみに一緒にいたのはあたしです(爆)

・いつも不倫したいが責任は取らない
不幸なことに団塊世代とそういう関係になってしまった女性がいましたが(うちの会社ではありませんと強調)、奥さんと別れて、その人と再婚したのは絶無です。下の世代にはそれなりにそういうケースがあるのに、絶無というのがすごいです。

・結婚して育児をしている女性には急に冷たくなる
いやもう、それはひどいもんです。

・権力がなくなると途端にしょぼしょぼになる
団塊世代の権力の源は「会社」「肩書」「交際費」ですから、定年してそれらがなくなると途端にしょぼしょぼになって、現役時代はかましていた男性部下も少しはやさしくしてくれると急に猫撫で声になったりします。自分のお金では飲まないので、団塊定年後の銀座は閑古鳥が鳴いています。癒してくれた銀座への恩返しはしないのでしょうか。

・家族や地域社会になじめない
「素の自分」で社会的関係を結んでこなかったわけですから、なじむのは無理です。いばって嫌われたり、逆に卑屈になりすぎて気持ち悪がられたりします。

・時々、ちやほやされると増長しすぎる
地方議員になったりすると、セクハラ発言をします(笑)

「嫌塊論」とか「悪塊論」とか「呆塊論」になりすぎてもいけないので、ここらへんでやめます。

<以下は投稿コメント欄での本人による補足です:プロジェクト担当者>
そもそもセクハラの概念の歴史をおさらししてみますと、最初はアメリカのラジカルフェミニストのグロリア・ステイサムさんが1970年代はじめにつくった言葉だそうです。アメリカでセクハラが法的に人権侵害と認められたのはずっとくだって1986年です。

日本で初のセクハラ訴訟は1989年の福岡の出版社勤務の女性で勝訴しましたが、被告側証人に過去の恋愛問題を暴露され大変つらい思いをしました。89年にはセクシャルハラスメントが流行語大賞になっています。その後セクハラ訴訟は続きます。

行政的にセクハラが制度化したのは97年で、男女雇用均等法が改正されセクハラの防止が盛り込まれました。あたしも支局にいたころの90年代前半にセクハラ訴訟のいくつかを取材しましたが、女性が名乗り出るだけで大変な騒ぎだったなあと思いだしました。

歴史としては20年ぐらいのものなので、それ以前から社会人をやっていた男性にはやはり感覚的に分からない世界なのだとあらためて思います。まだやかましく言わないといけないということですね。

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