もしも私が尾道で生まれ育っていたら

旅行は冒険だ。
旅行に行って、地元の中学生を見るといつも、その土地で生まれ育った自分を想像してしまう。ここの中学に行っていて、通学時間が20分やとしたらここらへんに住んでたんかな。じゃあこっちらへんに住む友達は学校から家近くて羨ましいやろうな。このご飯屋さんにいつも家族で食べに来てたやろうな。友達とは帰りの分かれ道がここやとしたら、ここの平べったいところを椅子にして駄弁ってたんじゃないかな、いや十代やったら立ったまま話すか。デートに行くとしたら、ここのショッピングセンターに行って帰りはこの海岸沿いを歩いたやろうな。というか、嫌なことがあるといつもこの海岸に来てたやろうな。
もしもなんてありえないけれど、ついつい妄想は膨らむ。この瞬間、私は大阪生まれ大阪育ちではなくなる。あるときは広島県尾道市で育ったり、福井県坂井市に6歳で引っ越してきたり、またあるときは愛知県一宮市で生まれて高校からは名古屋市に移住したりもする。正直全く現実味のない妄想だし、地元の人に話すとそんな設定難しいよと言われそうだが、楽しいから許してほしい。自分じゃない世界線の自分になれる、会える気がしてやめられない。ちょっとした変身願望の一つなのかもしれない。
そうして妄想してふわふわして、旅行が終わり、家に帰るともう見飽きた大阪の自分がいる。現実は悲しい。でもそんな時に、大分で生まれ育った自分が大阪で生まれ育った自分を妄想するのを妄想する。うん、大阪の自分もそんなに悪くないかもしれない。そう自分に言い聞かせながら大阪の自分を全うするのだ。

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