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第2次~第4次ベンチャーブームを経て、VC投資はどう変わってきたか?-これからのスタートアップ支援を担うベンチャーキャピタリストたちへ-

ベンチャーキャピタル(JAFCO)で大企業とスタートアップの協業を促進するミッションを担っている徳原と申します。

私がジャフコグループ株式会社(JAFCO)に入社したのは、ちょうど第二次ベンチャーブーム真っただ中の1986年のことでした。当時は日本合同ファイナンスという社名で、今と比べるとベンチャーキャピタル(VC)はまださほど認知されておらず、その在り方もずいぶんと異なりました。 
以下に、JAFCOの変遷を示します。

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 私がJAFCOに入社してから約36年経ちますが、この間、VC業界は大きく変化を遂げてきました。また私が入社した当時のことを、体感として覚えている人もだんだん少なくなっていくでしょう。
単に昔を懐かしむのではなく、今までの経験を振り返りながら、これからのベンチャーキャピタリストたちにとって何か参考になるようなお話ができればと思います。

1973年の会社設立から1986年の入社当時までのVC業界

 
日本合同ファイナンス(現在のJAFCO)は、1973年4月に設立されたVCです。当時はちょうど第一次ベンチャーブームと呼ばれた時代で、京都エンタープライズデベロップメントが日本初のVCとして1972年に出来た後、JAFCOを含めて計8社のVCが次々に立ち上がりました。JAFCOの設立は日本で4番目でしたが、それまでの3社は全てなくなってしまったため、現在では当社が最も歴史のあるVCとなりました。
 
日本合同ファイナンスは、当時の三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)と野村証券、そして日本生命がそれぞれ3分の1ずつヒトとカネを出し合って設立された会社です。当時の事業内容としては、企業への投資よりもノンバンク業務に比重が置かれていました。
 
というのもVCの特性上、投資先の企業が上場を果たすまでは収益につながらないという問題があったため、当時のJAFCOは企業投資だけに集中することができなかったのです。実際、10年の間に会社の資本金はどんどん目減りしていき、ビジネスの構造自体を大きく見直す必要に迫られていました。
 
そこで、当時のトップはVCの先駆者であるアメリカから学び、1982年に日本で初めてのファンド立ち上げに至りました。それまでは投資を行うにしても、借金をしながらお金を回している状態だったため、短期的なリターンが見込めず、経営が行き詰まりかけていました。ところがファンドの立ち上げによって、出資者へのリターン還元が必要とはいえ、毎月の管理報酬によって会社の収益をある程度安定させることができたのです。
 
その後のJAFCOの業績回復は、ファンド立ち上げに加え、店頭市場における新規上場のプロセスが緩和され、それまでの投資先から上場を果たす企業がちらほら増えていったのも大きな要因だったといえるでしょう。

会社の存続自体が危ぶまれかけていたところから持ち直し、当時のJAFCOが本来のVC業務に立ち戻ろうというタイミングで、ちょうど新卒の採用も積極的に行われ始めました。私がJAFCOに入社したのも、まさにその時期です。

1986年に入社してからの働き方や当時の企業イメージ

私が就活をしていた時期は、ちょうど第二次ベンチャーブームの最中でした。新しく起業する人の数はまだまだ少なかったものの、「ベンチャーとは何なのか?」と関心を抱く人が少しずつ社会に増え始めていました。
 
私自身、ベンチャービジネス(今でいうスタートアップのこと)に興味を持ち、実際に何社か面接にも行きました。そんな中で、たまたまVCの存在を知り、応募するに至ったのです。
 
当時のJAFCOに内定をもらったとき、実は別の都銀からも内定通知を頂いていました。ただ比べてみると、銀行員の方々から伺った話よりも、当時のJAFCOの人事担当者が話す内容の方が面白いと感じたのが、就職を決めたきっかけだったように思います。あとは、ベンチャーブームの影響で「大企業の歯車になるよりも小さな企業で上を目指したほうがいい」という意識もありました。
 
日本合同ファイナンスという社名は正直なところ、VCとしてあまり認知されていなかったため、周囲に話しても「リース会社」や「サラ金」という印象を持たれるケースが多々ありました。
 
社内の構成員を見ても、野村証券から来ていた50代の幹部職と新卒で入社した20代社員という2極化状態だったため、同じビルに入っている会社の方からも「変な会社」と見られがちだったようです。

業務内容としても、今のVCのイメージとは異なり、中堅企業への営業開拓が主でした。要するに、すでに年間で1億程度の利益を出しているような企業のオーナーに対して、「投資をするので、上場を目指しませんか?」と働きかける仕事だったわけです。
 
起業という選択肢がまだ一般的ではない時代だったため、当時の経営者はいわゆる叩き上げタイプの人が大半でした。学歴もない状態から借金をして苦労を重ね、最終的に事業を拡大させてきたという経営者が比較的多かったのです。そういう裸一貫から成長を遂げてきた会社の経営者に、新卒の若手社員がいきなり会うというのはかなりハードルが高く、受付を突破するだけでも一苦労でした。
 

インパクトの大きな投資先の成功事例と、それに伴う意識変化

 そんな状態から始まった私のベンチャーキャピタリストとしての活動ですが、VCの投資に対する経営者の意識も時代とともに着実に変化していきました。その背景にあったのは、エポックメイキングとなったVC投資の成功例の数々です。
 
JAFCOでいえば、たとえば1989年に株式の店頭公開(IPO)を果たしたヤマダ電機の事例が挙げられるでしょう。今でこそ日本最大の家電量販店として成長を遂げ、連結売上1兆7000億を超える企業になったヤマダ電機ですが、当時はどちらかといえば業界内でもアウトサイダー的な立ち位置にいました。その頃の家電量販店といえば、秋葉原にあるラオックスや石丸電気(現在のエディオン)などがスタンダードだったのです。
 
&JAFCO POSTに掲載されているインタビュー記事にもある通り、1985年から1987年にかけてJAFCOはヤマダ電機への投資を3回行っています。金銭的な支援だけではなく、当時既存会員の推薦がないと入れなかった業界団体「日本電気大型店協会(現在は解散済)」への加入についても、JAFCOでサポートさせてもらいました。
 
ヤマダ電機のように、資金調達をもとに事業を急加速し、エクイティファイナンスをフル活用してさらなる飛躍を遂げた企業事例は、それまでの銀行融資を利用したケースとの違いが分かりやすく、VC投資の成果として非常に象徴的でした。
 
そういった成功事例が目立ってきたことで、「あの企業がやり遂げたなら、自分たちだってできる」というように、VC投資に対する経営者の意識も変わっていったように思います。
 

数々のチャレンジと失敗を経て洗練されてきた投資ノウハウ

 
JAFCOの投資事例を見ていくと、当然のことながら成功事例だけではなく、失敗事例も多々あります。私が入社したばかりの頃、当時の会社のトップが渡米した際に、「私たちの投資先は倒産などしていない」と自慢したところ、あるベンチャーキャピタリストからこんなことを言われたそうです。
 
「今まで投資に失敗した数がもし0件というのなら、あなたはまだベンチャーキャピタリストではない」

実際、10年以上かけて失敗ケースを蓄積し、一つ一つの失敗から学んできたからこそ、今のJAFCOの投資ノウハウがあります。
失敗を恐れて何もアクションを起こさないより、結果として成功に至らなくてもチャレンジをし続けることに価値がある。そう、私は思うのです。
 
私は自分自身が直接担当した先としてこれまでに計33社の企業の投資に携わってきました。そのうち、IPOを果たしたのは13社です。この実績は、JAFCO社内の中でも平均的な数値だと思います。
この数字を見て分かる通り、私の担当先でも様々な失敗があったわけですが、その中でも特に印象に残っている失敗事例も一つ、参考として共有しようと思います。
 
日本国内でインターネットの普及し始めた1990年代後半、当時の主流はNTTの電話回線によるダイヤルアップ接続でした。通信速度が不十分な上に従量課金制だったため、容量の大きなデータは扱えず、利用者も限定されていました。
 
そんな中、「NTTが独占していた電話線を開放し、データ通信の回線利用を自由化させる」という命題に取り組み、定額料金・常時接続のサービス構築に真っ先に取り組んだのが「東京めたりっく通信」です。
 
その理念に共感した私は、JAFCOの担当者として総額11億円を東京めたりっく通信に投資したわけですが、最終的に回収できたのは3億円ほど。結果的に、非常に大きなロスを生み出してしまいました。
 
東京めたりっく通信が頓挫した最も大きな理由は、手元に現金がないにもかかわらず、資金調達を見込んで先行投資を進めてしまったことでした。それ以外にも、急速な組織拡大に伴う人材の不足など、今思うと事業拡大の仕方や資金計画に甘かった点は多々ありました。
 
「手元に現金がなければ投資をしてはいけない」なんて当たり前じゃないか、と思われる方もいるかもしれません。しかし、実際にその現場に立ち、経験し、そして失敗してみなければ、経営者もベンチャーキャピタリストも本当の意味で学べないものです。
 
結局、東京めたりっく通信はその後ソフトバンクの手に渡り、2年でその幕を閉じました。同社がゼロから作り上げたNTTとの交渉ノウハウや投資してきた設備が、後のYahoo!BBサービスの基盤となり、日本のインターネット黎明期を切り拓く力となったわけです。

 
カネ詰まりに陥ってからの資金集めやその後の反省会をふくめ、JAFCO社内の他メンバーからは本当にたくさんのサポートを受けました。反省会の場でも、「20億円を追加投資していたらどうだったか?」「ほかにバイアウトの道はなかったのか?」など、次につなげていくための前向きな議論を交わすことができました。
 
当時のJAFCOは、投資先の経営に深く関わっていくハンズオンの投資を始めたばかりで、まだまだノウハウも未成熟でした。そんな中でも、誰もがよりよい道を模索し続けたからこそ、今があるように思います。
 

投資への向き合い方:蓄積された知見を生かしながらも常に前提を疑う

 
失敗を積み重ねながら洗練されてきたJAFCOの投資ノウハウですが、蓄積された知見を活用すると同時に、常に前提を疑う姿勢がベンチャーキャピタリストには必要なように思います。
 
たとえば、一回会社を倒産させた経営者の再チャレンジに投資してみたものの、やっぱり思うような成果が出なかったという事例を私は経験しています。そのため、「再チャレンジ=投資すべきではない」という判断をついしてしまいがちですが、それが正しい答えとは限らないわけです。
 
投資先の検討にしても、今までの経験則をもとに「この業種はうまくいかないだろう」と感じることはあります。しかし、社会情勢も人も変化し続けていくものですから、明確な正解は存在しえないのです。
 
ベンチャーキャピタリストの仕事では、「一期一会の出逢いをいかに大切にできるか」、そして「その時々にどんな判断を下すのか」が常に問われます。

たとえば私は以前、子どもたちとのドライブ中にこんなゲームをよくやっていました。
「目の前を通り過ぎていく10台の車のうち、もし1台だけ自分のものにできるならどれを選ぶ?」
このゲームのポイントは、10台すべてを見た後で決めるのではなく、あくまでもその車が目の前に現れた瞬間に、その選択肢を拾うか捨てるかを決断しなくてはならないという点です。
 
たとえば5台目で「この車がいい」と思って選んだとしましょう。そうすると、すでに走り去った1〜4台目は選べないのはもちろんのこと、6台目以降の可能性も全て切り捨てることになります。車の値段や用途、搭載されている荷物など、選ぶ基準は無数にあるわけですが、それでも自分の判断を信じて決断するわけです。
 
VCの投資先検討も、このゲームの感覚と似た部分があるように思います。もちろん投資先を検討する際には、車のゲームとは違い、ある程度さかのぼって比較することも可能ですが、どちらにしても「明確な正解がない中での選択と決断」が問われるのです。 

思い込みや先入観を捨て、一つ一つの出逢いに賭けて、そのときのベストを尽くすこと。そして失敗したとしても、経験値に変えて、さらなるチャレンジを続けていくこと。

それが私たちベンチャーキャピタリストの仕事であり、裏の仕事ならではの面白さがある部分なのだと思います。
 

時代の変化とスタートアップ支援のこれから

 
今は時代が変わり、起業という選択肢がより多くの人にとって身近になりました。最近ではそれこそ東大など学歴のある人がスタートアップの設立に挑むケースも増えています。実は、私の娘もスタートアップを始めたいと言っているわけなんですが、そういった若手の姿を見るたびに、キャリアパスの一つとして起業が広く認知され始めているのを感じます。
 
その背景には、インターネットの普及によって、かつての飲食業や製造業ほどの初期投資をしなくても、新しいビジネスに挑戦できるようになった点も大きいでしょう。
 
社会課題に対して泥臭く、真正面から向き合うスタートアップも増え、VCの活用も含めた創業支援に対する社会の関心も高まってきました。
 
これからも社会はどんどん変化を続けていくでしょう。メルカリの上場から始まった第4次ベンチャーブームは昨年末にいったん収束したように思いますが、これから先、また逆境の時期が訪れることもあるかもしれません。
それでもどんな逆境にあろうとも、失敗を恐れることなくチャレンジし続けていくことが大事だと私は思うのです。
 
JAFCOも過去を振り返れば、組織のスリム化を断行した時期や経営が苦しかった時期など、様々な苦難の歴史がありました。それでも、諦めることなくVC業務を続けてきたからこそ、今のJAFCOがあります。
入社から36年、JAFCOで本当に多くの経験を積ませて頂き、そして今もなお、若い方たちと一緒に新しいことに挑戦できる環境には感謝ばかりです。
これからも他のメンバーと力を合わせながら、挑戦し続ける起業家の方々を後押ししていけるよう、私も引き続きチャレンジして参ります。

文章協力)株式会社SHUUU ライター多田ゆりえ


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