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結局浪人期が1番幸せだった

適当に頭に思い浮かんだキラキラ思い出を書き殴っているだけなので多分かなり読みにくいはず。

大学2年生になった僕だが、未だに浪人期の思い出が脳にこびりついて離れない。高校でダラダラと受験期を過ごした僕はそのまま大学に落ちて浪人期へ突入。千葉の片田舎から舐め腐った表情で千代田区にある某S台予備校へ通い始めました。ここからの浪人生活は、今でもふと思い出すし、これからもしばしば頭の中に顔を出し続けるだろう。それくらい楽しかったし、辛かった。
4月に前期が始まってからは、友達が芋づる式に増えていって、楽しかった。東大専門校舎に通っていたので、有名進学校出身の友達ばかりだった。ちなみに理類を目指していた。優秀な(とはいえ同じ浪人なのだが)仲間たちとこれから切磋琢磨し合えるのだと思うと、ワクワクしていた。まだ1年もある。これから頑張れば余裕だろう、と希望に満ち溢れていた。気楽でよかったなぁ。もちろん適度なプレッシャーはあったけど。

ほどほどに勉強しながら意外と可愛い浪人女子のケツを皆で追っかけ(ただし迷惑はかけなかった)、学歴話や高校時代の思い出を話したり、みんなで飯を食いに出かけたりしていた。朝活と称して後楽園など周辺のスタバで気分よく勉強していたりした。ホールの長机にみんなで集まってワイワイ勉強してたの、本当に楽しかった。夏頃の冠模試は想像以上に良い結果が出て、もうウッキウキだった。このまま行けば東大生じゃん。

もちろん、そんなに東大受験は甘くはなく、現役の伸びを舐めていた僕の成績には、秋頃には翳りが見えてきていた。一方オキニの女の子の成績は東大に余裕で受かるくらいで、かなり焦ってた。そっからは必死こいて勉強したはずだが、前期のサボりは取り戻せず、ついに迎えた2/25。そこからの2日間は健闘と言ってよかっただろう。まあ落ちたんだけど。普通に結構辛かったなぁ。友達が何人か一緒に落ちてくれたのでまだ救われたけど(ごめん)。結果は1桁点差落ちで、現役からは60点上がってた。もう少し数学頑張ってればなぁ。

ということで僕の東大受験は終わりを迎えた訳だが、まあ過去の思い出となった今からすれば、正直かなり楽しかったし、得たものも多かったと思う。滑り止めで入った今の大学も多分現役じゃ受かってなかったし、予備校から一緒にスライドした友達とは今もずっとつるんでいる。達成こそ出来なかったものの、一つの大きな、そしてわかりやすい目標に向かって努力した経験は貴重だ。楽しかっし、幸せだったなあ。というか、大学がつまらなすぎる!!どいつもコイツも虚飾に身を包んで、酒!タバコ!セックス!正直他の大学生は嫌いだ。なんだあのウルフカット気持ち悪いな、その粗マラ仕舞えよ。全員浅く見えて仕方ない。野郎みんなで素を出し合ってた浪人期が1番気楽だった。それに大学には、1つの大きな目標がない。自分で見つけろということなのだろうが、自分は稼いで小金持ちになりたいのか、理系分野でカッコイイ研究したいのか、よく分からない。とりあえずいい成績は取りたいのだが、そのモチベが湧かない。それなのに、出席だの単位だので命が削られていくし、バイトもしなければいけないから、自由時間は意外と少ない。勉強さえすれば1日のスケジュールは自分次第だった浪人生活と比べて、なんとまあ制限の多いことか。精神的圧迫度ならトントンなんじゃないか??まぁ、浪人友達を除いても大学には友達はいるし、陰キャでもチー牛でもないのでそれなりに現在を楽しんではいるが、浪人期には敵わないなぁとしか。

思い出補正もあるのだろうけど、今ではあの御茶ノ水の景色が記憶の中でキラキラしている。東大含め色んな大学にバラけた友人たちもそうらしく、御茶ノ水の景色をSNSに上げると必ずいいねが着く。運よく定期圏内で近くまで行けるので、浪人期に聞いてた音楽を聴きながらふらっと降りて、郷愁に浸りながら散歩したり、よく勉強していたスタバで課題をこなりたりなんかしている。通っていた校舎を眺めることもしばしば。浪人生どもを見つけるとなんだか嬉しくなる。いつまで経ってもこの感覚に飽きないし、正直気持ち悪いくらいの執着だと自分でも思っている。でもこれでいい。自分が気持ちよくなれるのが一番大事。ノスタルジーって一種の自己満だしね。出会いと希望と無謀とが入り交じった浪人期は、間違いなく今までの人生で一番濃い思い出だし、暫くはそうあり続けるだろう。


見苦しい文章を読んでくれて感謝🙏ただし、真面目にひたすら勉強してた人からは浪人期に対してこんな感想出てこないだろうし、正直カス見たいな浪人生活に見えると思う。親の金で浪人してるわけだから、成績か実家が太くない限りあまりオススメしない過ごし方だろう。でも僕はあんまり後悔してない。





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