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書く習慣 Day21 | これまでで1番のチャレンジ
チャレンジの少ない人生を送ってきました。
「いまの私にはこれがちょうどいい」くらいの感覚でさまざまな選択をしてきました。その延長線上にささやかな成長があればいいな、と。自分のことなのに、他人事のように考える癖が抜けません。
そんな私でも「あれは大きな挑戦だった」というできごとが一つだけあります。
それは、約3年前に「休む」決断をしたことです。
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2019年春、仕事でとあるスランプに陥っていました。
良かれと思ってしたことが裏目に出て、結局周囲に迷惑をかけてしまう。何度提出しても案が通らずやり直し。何をやってもうまくいかない。
これも試練だ。
ここを乗り越えればもう一歩成長した自分に、
なれる。
と、信じていたのですが、実のところそれは自分を騙していただけでした。たくさんの「大変」が溜まっていたことに気付いていなかったのです。
2019年の梅雨の時期。ついに私の心身は限界を迎えました。
翌日の早朝から仕事が入っていたので、早く寝なければといそいそとベッドにもぐりこみました。フゥ、と息をつき目を閉じた瞬間、ドキドキドキドキと動悸が止まらなくなりました。そのうち、見上げていた天井がぐるぐる回り猛烈な吐き気。ベッドから這い出て水を飲みにキッチンへ行く途中、歩くことがきず倒れこみ、呼吸ができなくなりました。
それからはよく覚えていないのですが、どうやら実家の母に電話したらしく、数分後、家に救急車がやってきて搬送されました。
病院のベッドで少しずつ意識を取り戻してきた私は、とにかく仕事に行かなければという一心で「電話を貸してください」を繰り返していました。
病院の先生から「とにかく休みなさい。いまは仕事をしてはいけない」と何度も言われ、上司に事情を説明すると同じように「いまは休め」。
当時の私は、なぜ周囲が休め休めと繰り返すのかわかりませんでした。
しかし途中から、「ああ、私が無能だからだ。役立たずだから要らなくなったんだ」と気付いて(気付くも何もそんな事実はなかったのですが)、真っ黒な絶望が全身を包み込み、ひたすら死にたいと願う日々が始まったのです。
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それから2週間ほど、一旦実家に戻りリモートワークで少しだけ仕事をすることになりました。この期間はずっと「私だけサボっていて申し訳ない」という気持ちは消えませんでした。
いまでも覚えていますが、この時期にあの『京都アニメーション放火事件』が起こりました。TVニュースで映像が流れ、少しずつ被害の状況が把握され報道されていく。当時の私には刺激が強すぎたようで、それから毎晩、亡くなった方々のことを思いながら過ごしました。
才能ある人々が理不尽な理由で命を奪われてしまった。生きたくても生きられなかった彼ら。なぜ彼らが死ななければならなかったのか。私が代わりに死ねばいいのに。
……と、いま思えばかなり歪んだ思いを抱えていました。何の因果関係もないできごとに、無理やり自身を関連付けて勝手に絶望している。気持ち悪いことこの上ないのですが、当時の私は本気でそう思っていたのです。
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約2週間の休息も虚しく、結局そのまま会社を辞めました。
心身ともに衰弱したまな不規則な生活を続けたことによる過労。からの、うつ病を発症していました。
まさか自分がそんな状態になるなんて思ってもみませんでした。もう大人なのに情けない、恥ずかしい。家にいるのも申し訳ない。そんなふうに思っていました。
しかし、退職してすぐ母に連れられて近所の温泉に行ったとき、こんなことを言われました。
「またあんたに背中流してもらえる日がくるなんて思ってなかったよ。人生、ずっと歩き続けることなんてできないの。知らなかった?みんな適度に休みながら生きてるのよ。お母さん、あんたとまた一緒に暮らせてうれしいくらいよ」
そのとき私は、久しぶりに泣きました。仕事中どんなに辛くても呼吸ができなくて苦しくても、涙なんて一滴も出なかったのに。
こうして、いったん休む決断をしたことが、私の1番のチャレンジとなりました。
いまでもたまに絶望の波はやってきます。ただ以前よりは、それを受け流す術を身につけたことで割と生きやすくなっています。
チャレンジ=転機、と言えるかもしれません。いまはまだ想像できませんが、「いったん休む」を超えるチャレンジの時がこれからやってくるのかな。
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