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書く習慣 Day19 | 自分があまり賛成できない常識

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである。
アルベルト・アインシュタイン

まさに18〜19歳のころ、「常識=正しい」とは限らないという痛みがチクチクと心を突き刺す感覚がありました。

たぶん、「今まで培ってきたものが通用しない世界がある」という軽い絶望のせいかもしれません。

私の常識は誰かにとっての非常識。

逆に、私が「ありえない!」と引いてしまうことが誰かにとっては「そんなの日常茶飯事だぜ」となることも。だから世界は面白い。

いまは、私のなかで常識=当たり前という方程式ができあがっています。「正解・不正解に関わらず、現時点で何の疑問もなく受け入れている日常」のような感覚。

そんな私の偏見コレクションで最近、これってどうなの?と思うことがありました。

それは「24時間営業」という業務形態。

物心ついた時から、私の知るコンビニは「24時間営業」が当たり前でした。つまり、いつどんな時間に行ってもコンビニは開いているという環境が、私にとっての常識です。日本に住んでいる人たちにとっても同じことでしょう。

ただ、個人的にはあまり賛成したくない常識です。

なんというか、24時間営業しているということは「夜中に働いている人がいる」「長時間働いている人がいる」ってことじゃないですか。

それってめちゃくちゃ疲れませんか?

体質的に朝型・夜型の方がいると思いますが、人間の身体は陽がのぼっている時間に活動して、夜は休むというリズムが自然です。

本来休むべき時間帯に脳と身体を使って疲れが溜まることで、仕事の生産性が落ちてしまっては本末転倒な気がします。

そもそも24時間ぶっ続けて営業することで、いったいどれほどの利益が生まれているのかな、と最近思ったのです。

電気代が高騰し続けるいま、まったく人気のない田舎の夜道の途中で煌々と光るコンビニの明かりを見るたび、「大丈夫?赤字になってない?」という誰目線かわからない不安が生じます。

24時間営業が始まったのは「いつ行っても営業している」というイメージを顧客にもたせることで足を運ぶ機会が増え、日中の売り上げが伸びるという結果が出たからだそうですが、人口が減る一方の現代日本でも同じなのでしょうか。

ただ、病院の先生や看護師さんなど、人の命に関わるお仕事はまた別の話。一刻を争う現場では、常に対応できる環境が必要です。

24時間営業はたしかに便利だし、私も恩恵を受けたことが何度もあります(夜中にふとポテチが食べたくなった時とか)。

昔、オーストラリアに留学していた時、どんなに遅くとも21時にはすべてのお店が閉店、日曜日はお店のほとんどが休みという環境で過ごし、カルチャーショックを受けました。

最初は不便だと思いました。でも、不思議なことに少しずつ慣れてくるのです。人間ってすごい。

3ヶ月ほど経つと、必要なものは事前に買い物をし、夜や週末は家でゆっくり休むようになりました。それはそれでいま思えば心地良い環境だったし、何より便利さと豊かさは違うと実感したのです。


というわけで、「コンビニや飲食店の24時間営業」という日本の常識にはあまり賛成できないなあ、という話でした。

全然上手くまとめられなかった……
書くって難しいですね。

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