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見下していたんだなというのが分かる

進学塾講師をしている友人と話していたときのこと。

その友人は、子供繋がりで知り合いましたが、ママ友という感じではない

価値観が合う、大人になってからの友人というのでしょうか、

とても成熟した考えを持った大人な女性です。

その友人と、人間関係について話していました。

ふと発した言葉から、

”ああ、この人、私を見下していたんだな。”

とわかる瞬間があったという話をしていました。


そういう私達が、今、その人をさらに見下していると

思われるかもしれませんが、

その言葉を聞くまでは、こちらからは、楽しい時間を共有できる

親しき仲にも礼儀ありと、大人としての気遣いをもって接していた友人でした。


でもそうじゃなかった。


すると、それまでの会話を思い返して、

もやもやした違和感があったことを探そうとしてしまうんです。

無意識にモヤモヤしていたのは、無意識ではなく

実際にモヤモヤを意識していた。

そのモヤモヤを、

長年の友人だし、

共通の友人もたくさんいるし、

その友人もいいところあるし、

助けられたりもしたし、、、

等と良い思い出で打ち消そうとするのです。


でも、人間って、感情ありきなんですよね。

感じ方、考え方、受け取り方一つで、

どうとでもなってしまうのですね。


その友人は、可哀想と言われたそうです。

その言葉に、違和感を覚えたそうです。

私はMッ気があるので、可哀想と言われると、

そうでしょー、そうでしょー!!

という気持ちになりますが、

あまり連呼していると、確かに終いには馬鹿にされるようになりました。

可哀想なkissaさん、何を言ってもヘラヘラしてる、

なんかいじられキャラね、という風に見られるようになりました。


可哀想と言った友人の友人との会話を思い返すと、

モヤっとすることが度々あったそうです。


私は、モヤモヤだらけですよ。

でもそのモヤモヤも、耳が痛いモヤモヤもあるので、

そこは内省して自分の成長の糧にしようと思うこともあるのですが、

たいていは、

”なんでそんなこと言うの?!”

と、失礼よ!!という気持ちのモヤモヤが殆どではないでしょうか。


ママ友間では、あまり学歴や職歴の話はしないほうがいいと思っていました。

しかし、中には、自分の世界観だけで物事を考える人もいるので、

憶測と想像と、その人の願望(自分よりは下でしょ)と外見のイメージで、

勝手に事実とは異なる人として決め付けられるということもありました。


高卒でしっかりしている方はしっかりしている。

はたまた大卒でも、お嬢様でわがままな人もいる。

専門卒で美容院のオーナーになっている人もいる。

院卒で勉強や研究ばかりしてきて、子育てや家事が苦手な人もいる。

臨床心理士の友人、MRの友人、洋裁が得意な友人、

プログラミングの講師をしている友人、

様々な学生時代、仕事を経験しているママがいます。


私は、人は見かけではないという考えが子供の頃からあるので、

逆に他人を過大評価して、自己評価が異様に低いと指摘されたことがありました。

もっと自信を持てばいいのにと旦那からも言われます。


昔、「チャングムの誓い」というドラマがありましたが、

主人公チャングムが組まされた、のんびりした女性のことで、

優秀な自分がなぜ彼女と組まなければならないのかと、

先生に訴えたシーンがありました。

でも、練習か実習かなにかで、チャングムが、のんびりした彼女のお陰で

ピンチを乗り越えられたというようなストーリーでした。


ほんの数分のシーンでしたが、そう、自信を持つことも大事だけれど、

過信すると足元を掬われるということがあるし、

みんなそれぞれの個性で、それぞれに役割があるということに、

改めて気付きました。


noteの過去の記事に、職場やママ友の愚痴をたくさん書いていますが、

元はみんな、見下しているんですよね。

見下していて、いざ見下していた人に助けられると、

極まり悪くなり、反省するどころか、今度は、自分は悪くないと

逆ギレしだし、自分の行いを正当化しだす。

こどもか?

普通の大人なら、己の行いを省みて、

直すものなんじゃないのでしょうか?






子供の幼稚園時代の3年間(卒園後も継続中)、心的外傷だけでなく、家計のために始めたパート代、高校受験でいうと6校分の入学金くらいになる金額を、あるママ友に搾取されました。ママ友、同僚からのいじめ、ねずみ講ビジネス勧誘に悩まされている方のお役に立てられれば幸いです。