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たまごごはんの無職生活 その9-自分の職種を考える

  Journey、という言葉を仕事柄なせいかよく使う。使い始めるとなかなか便利な言葉で気づけば多用している。仕事ではオフィスデザインのプレゼンテーションの際などにクライアントの歴史を振り返ったりオフィス移転の道のりを説明するときなんかがよい具体例と言えるだろうか。

 その6で始めた自分のキャリアからの適正を見直してから更に掘り下げて具体的な職種についてリサーチをしながら、今現在の自分が今後どんな仕事をしていきたいかを改めて考察してみた。言ってみれば私の次のキャリアにたどり着くまでのJourneyとなるわけで。


次へのJourney

 13年半勤めた事務所を辞めた時、3か月は「次」を考えるのを止めようと思った。できれば半年。なにしろこの18年近くはとにかく会社員として働い詰めだったのだ。40になるタイミングで2か月半ほどの無給休暇は取ったがその時はもう完全なバーンアウト、燃え尽き症候群状態だったので2か月半で精神的な休息と次のキャリアへの計画を立てるのには時間が足りな過ぎた。

 そう決めてから気づけばそろそろ1年半近くになろうとしている。幸いにもそこそこ質素な生活を心がけていればまだもう少しは時間があるけれどそろそろ尻に火がついてきたなというのも正直なところで。2か月で無職生活に音を上げると周りも自分も思っていたので、これは自分に対しての新たな発見だった。
 とはいえ実のところ、本当の自分を再発見しただけだったらしい。というのもつい先日、姉とSkypeで話していた際に言われて思わず笑ってしまったのだが、

「あなたは実はとても怠け者だからね。それを忘れないようにね。何しろ子供のころの夢が縁側で日向ぼっこするおばあちゃんの膝で眠る猫になりたいだったんだからね」

 というもの。そうそう、そうだった。仕事をしていると常にがむしゃらでガツガツだったので本来の自分がそうだったというのをすっかり忘れていた。ワーカホリックなワタシしか知らない元同僚などからは信じられないのだろうが。

  2020年の9月末付で退職してから年の暮れまでは体質及び生活カイゼンに意識が集中していたように思う。ウォーキングやジョギングなどのエクササイズをいろいろ試したり、食生活を整えようと健康を考えた料理を作ったり。なにしろ世間はコロナショックでロックダウン。人に会うことすら公園で距離を置いてなんて時期だったのは自分を見つめ直す意味でもよかったと思う。

 精神的に落ち着いてやりたいことが定まってない状態で人に会うと人の意見に左右されやすい。それに会うといってもみな仕事があるのでたいていは仕事終わりのパブ、なんだかんだで出費もかさむ。無収入になってからは銀行の残高がひたすら減るのみというこの歳ではあまり味わいたくない状況になっているので心から楽しめない。

 そんなわけで最初の3か月はひたすら自分を整えることに使った。とはいえ業界から完全に消え去ってしまうとブランクになってしまうので、メールマガジンやウェビナーなどの現状を追いかけることは日常的にするようにした。考える時間もあるのでこのインプットとそれを消化する時間を大事にしたのはよかったと思う。

思ったより長かったダウンタイム

 年が明けて日も目に見えて日々長くなっていくにつれて気持ちも上向いた。エクササイズに使う時間が増え、ようやく履歴書とポートフォリオづくりに取り掛かる。それにまた数か月。そうすると春がきた。去年の春はホームシックがこの10年ほどでも一番とも言えるくらいがっつりやってきてせいぜい2-3本集まってる程度なロンドンの桜を求めて彷徨い歩いていた。

 イチゴ大福を作ってみたり、行事食でできるものをいろいろ作ってインスタにあげてみたり。10年ぶりくらいに桜を観に帰国する計画を仕事を理由に2回は先延ばしにしていて、それが更に伸びたせいもあるだろう、恋焦がれた桜並木が見れないのは結構辛かった。やりたいことが少しずつまとまり始めてはいるものの、どこから手を付けたらいいのかわからなくて焦っていたのもあるだろう。

 元々年に1度の暮れから年明けの帰省が基本で、2、3年おきにはさらにもう一度帰ることもままあったので、純粋に家族と日本食が恋しかった。コロナでどこか気弱になった父が心配だったのもある。更にいつも帰国時にはスーツケースをパンパンにして持って帰る大量の日本食材が尽きてしまったのもあった。だいたいのものは一通りこっちでも買えるけれど、チョイスは非常に限られる上に値段は3-4倍なんてのも珍しくない。いい海苔とか季節の食材なんかちょっといいものとかは手に入らない。

  4月の半ばくらいになると外出規制が緩和されてきて気持ちもちょっと落ち着いて、今度はカルチャー系に時間を使い始めた。ギャラリーにでかけたり人を家に招いたり。

そうこうしているうちにようやく頭の中がまとまってきた。

ようやく見えてきたビジョン

 この20年近くはほぼオフィスデザインに関わる仕事をしてきていて、スキルや能力に関しては何巡もした感があってやりたい事をやりつくした感があった。無論毎回新しい出会いや学びはあるけれど大筋は正直言って一緒だ。

 けれどデザインを通して常に人と関わる仕事ということもあり、クライアントから話を聞いたりチームで話し合って解決策を見出したり、デザインしたものを業者に説明したりと常にコミュニケーションが要となる。そのコミュニケーションという手段を通して物を勧めていくということが自分は面白いんだということに気づいた。

 スペースデザインを売るということはその空間を使う人々にとっても変化がつきものだ。言ってみればオフィスデザインとは変化を売る仕事でもある。オフィスの移転、レイアウトの変更、デスクサイズの変更からこの10年ではデスクを同僚とシェアしたり個人のデスク自体がなくなったりという働き方の変化にも大きく関わるとともに、オフィスデザインというカテゴリーそのものが対応する業務がどんどん広がってきている。

  基本的に人は変化を嫌う生き物だと思う。その変化を受け入れるまで、また受け入れた後でその良さに気づいたりさらに改善が必要だったりと1度やって終わり、ということはほぼない。けれどデザイナーとしてプロジェクトに関わるとどうしても1度きりでその続きにずっと関わるということはまれで。そこに悔しさを覚えていた。

 あるいはプロジェクトリーダーとして物件を獲得して始めるとクライアントサイドの意見がまとまっていなかったり、何がしたいかわからないなんてこともままある。そんな場合は往々にしてまとまりのないオフィスができあがる。デザイナーよがりのきれいな空間ができたはいいけれど、1年後に訪れると全く違う空間に作り替えられていたり、なんとかクライアントが求めているものにたどり着いたまではよかったものの、当初の予算とスケジュールに無理が生じて変更だらけのやっつけ仕事になってしまったりなんてことも少なくない。

 この10年ほどはプロジェクトリーダーとして直接クライアントやコンサルタントと接する立場でもあったので早めに問題を指摘しつつも与えられた条件下でいかに長く使えるクオリティのよい空間をつくるかという経験も術も身には着けたものの、

「最適条件でクオリティの高い空間を作って使い手がスムーズに変化に対応して成長していけるもの」

 という状態にたどり着くのは至難の業で、それにたいするフラストレーションが積もっていっていた。根本的な解決策はプロジェクトの始まる前からクライアント内で関わるしかない。そういう結論になる。

 そうして自分が面白いと思うこと(楽しいこと)、自分ができること、業界でニーズがあること(人の役に立つこと)、それに職として成立していること(お金になること)の4つの要素ががある時点ですとん、とまとまった。職種でいうといわゆるコンサルタントになる。あやしい響きだ。それもチェンジマネージメントというカテゴリーで、響きもさらに怪しい。

 ともあれ退職して約7か月でようやく仕事としてやっていきたいものがまとまった。マーケットとしての需要は確実にあるけれど、職種としてはあまり確立していない。ワークプレースストラテジーという仕事もあって、そちらはかなり確立しているのでフルタイムで仕事はあるが、ワークプレイスチェンジとなるとカテゴリーが人事に入ったりプロジェクトマネージメントに入ったりと仕事を得るための的を絞るのがやっかいそうだ。

 まずはマーケットリサーチとともにもかくにも仕事をアプライしてみようと動き出すことにした。あ、でもその前にデザイナーとして作った履歴書とポートフォリオの作り直し。

せっかく時間かけて作ったけどこれじゃ使えない、といわけでまた数週間かけて作り直す。

 マーケットリサーチはまずは業界でいろんな職種の人に会うのとLinkedIn。こっちで仕事している人でLinkedIn使ってない人はいないんじゃないかというくらいポピュラーなツール。重い腰をよっこらしょっと持ち上げて就職活動を開始しましたよ。

 次はこの半年に渡る就活における悪戦苦闘? を書いてみようと思う。

 つづく

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