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G-Lon note#5 主語を小さく語ろう~謙虚で建設的な姿勢~

まもなく2週間のホテル隔離生活を終えて,これから中国や上海のこと,新天地の学校をみることができます。
これからみるであろう様々な景色を批判的ではなくリスペクトをして観察したいと思います。

教師あるある

新しい環境になると「前の学校では・・・だったのに」「去年の生徒は・・・だったのに」「自分が学生のときは・・・」とそのあとに否定するような表現をよく聞きます。いわゆる愚痴というのかな。
比較することは多角的に観察する点では重要ですが,過去にとらわれ過ぎてはいけません。批判的なものが目に映った場合は,なぜそうなっているのかの本質をみつめるべきです。

白川寧々さんのYouTubeで,何か1つの問題でも,Nested(鳥の巣)のように複数の問題が絡まっているから,表面だけでなくて,5段階のレイヤーにわけて考察した方がいいよと。この5段階の図は分かりやすい。

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「クリティカルシンキング」,不満があります!

「クリティカルシンキング」はすごく大事な力なんですが日本語でなぜか“批判的思考力”と訳します。私はその訳に非常に不満をもっています。
批判≒不平不満に聞こえてしまうからです。(過去に学級通信の文面で管理職からクリティカルシンキングの文章を削除されました。。。必要な力だと生徒たちに伝えたかっただけなのに。。。)

そこで,問い立てラボでもご登壇いただいた哲学者SORIさんは「クリティカルシンキング=見直し的思考力」と言っていました。なるほど!そうか!ものごとの本質を見直すことが必要なんんだな!

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主語を小さく語ろう!

そもそも,「去年の生徒は・・・」「今年の新入生は・・・」「前の学校では・・・」とひとくくりにまとめていいのでしょうか?
「去年の生徒はよくできたのに」と言っても去年の生徒も色々な生徒がいたはずだし,今年の生徒と人が違うので違ってあたりまえのこと。そもそも何十人,何百人をひとくくりにして語ることってどのくらい意味を持つのでしょうか?

学校の先生は集団をまとめるがゆえに「集団を主語にして語る」ことで「見るべき個を見失っている」のではないでしょうか。授業観察では,「生徒をしぼって観察せよ」と聞きますが,もっと個でみる目線を増やし,主語を小さく語ることが必要なのではないでしょうか。

成績不振は,勉強しないからでしょうか。成績不振が10人いても10人とも理由は異なるはず。
Aくんが提出物を出さない理由は,なぜだろう。
Bさんは自分の授業を退屈そうだけど何かあったのかな。
主語を小さく語ろう

建設的な愚痴

でも愚痴っちゃうことってはある。それでストレスを発散できる人はよいかもしれないけど,その愚痴を聞いている人は逆にストレスかも・・・。

私の妻が言っていた言葉をヒントにしています。Aさんが周りの愚痴を言っていたそうです。その言動が許せなかったときに「Aさんって愚痴ばかりいうけど,そんなにAさんは完璧な人間なん!?(怒)」と。

なるほど。。例えば,私がBさんに腹をたてても,心の中で「待てよ,Bさんのことを批判してしまうが,そんなに俺は完璧な人間か?Bさんも俺も完璧な人間なのか?」とすると私は怒りを鎮めることができます。

相手の言動は変えることは難しくても,自分の受けとらえ方は変えられる。人間って完璧じゃないから人間らしくて素敵なんだと思う。

G-Lon まとめ

過去と比較することは大事だが,批判的にみるのではなく,見直し的思考で見つめる。(Nested 鳥の巣のように問題は複雑なのかも)
主語を小さくして考えることで,「個」をみることで生徒への教育的質が上がる。
それでも愚痴りたいときはある。「愚痴ってるけど,俺ってそんなに完璧な人間か?」と謙虚で建設的にとらえ直す。

これから中国で謙虚で建設的な姿勢でたくさんのことを吸収しようと思います。

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