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イタリアでスリに合って実感した子どもの貧困

私には「忘れられない旅」がある。

もう25年以上の前、まだスマホもLINEもない頃の話。
今もその時の光景を覚えている。

それは20歳くらいの時の冬に友人とふたりイタリア・ミラノに旅行した。

ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)の厳かな空気と壮大さに圧倒され、
街のピザ屋さんはどこも美味しくて、
大学生だった私にはブランド街はキラキラしていて、
結構ご機嫌な旅をしていた。


石畳のヨーロッパらしい歩道を歩いていたら、
突如目の前に小さな子どもが現れて、
新聞のようなものを目の前に突きつけて
なんやら騒ぎ出した。

私はびっくりして立ちすくんでしまったんだけど、
イギリスに留学していた友人が私の腕を力強く引っ張り、
走り出した。

私はされるがままに腕を掴まれたまま走って1ブロックほど進んだ信号の前で友人は足を止めて、

「何か取られたものはない?」

と私に言った。

手には何も持っていなし、
リュックも開けられた様子はない。

はっ!として、着ていたダウンのチャック付きのポケットを触ってみたら、
そこにあるはずの小さなポーチがなくなっていた。

地下鉄のチケットを買うなどチョコっとした時に便利なように
友人と小銭を出し合って小さなポーチに入れいた。
それをチャックのついたダウンのポケットに入れていたのを、どうやらとられたようだった。

金額にしても1000円にもならないくらいだったと思う。

友人と、諦めようか。と話していた時に

「何か取られたか?」
男性数人から結構な勢いで声をかけられた。

「小さなポーチと小銭」
と全てを答え終わるかどうかのタイミングでその男性たちはダッシュで戻って行ったかと思ったら、先程の子どもと赤ちゃんを抱えた親を引っ張って連れてきた。

そして、彼女らの服を脱がせて
他に取っていないか?とバサバサと確認をして、
怒りながら何かを言っていた。

1人の男性が、私たちのポーチを持ってきて中身を確認するように言ってきた。
中身なんて覚えてないけど、大丈夫だと伝えたら、
彼女らにもう行っていい。というような仕草をした。

そして、私たちの方を向いて

「迷惑をかけてすまない。同じ国民として謝る。
くれぐれも気をつけて」

みたいなことを言い、去っていった。

私はボーゼンとして、実は足が震えていた。
友人は一瞬彼らも仲間かもと思ったけど、本物のいい人たちだったんだ。と呟いた。

被害もなく、命もある。
喜ぶべき状況なんだけど、心が陰る。

子どもが新聞を売りつけるようにして私の気を引いて、
その間に赤子を連れたお母さんがポケット(チャックを開けて!)からポーチを盗る。これが1分ないくらいの出来事、日々行っているんだろう。

スリに合うということもショックだったけど、

それよりも、

親子の浮浪者の存在。
子どもが当たり前のようにスリに加担している。
その事実がとてもとても心に刺さっている。

情報としては世界の貧困、格差、子どもへの影響、知っていたつもり。でも、その全てを目の当たりにして言葉にできない気持ちになった。

とはいえ、私に何かできることもない。
ただ、できるのは他人事だったその事実に対して現実感を持つことだけ。

当時も不景気とはいえ、日本は裕福であると実感した出来事でもある。でも、表面上に隠れて見えづらくなっている子どもの貧困や孤独、ヤングケアラーなどの情報を知るたび、この時の感情がよみがえる。そして20年以上進化しているはずの日本なのに、その気持ちになる時が増えていることに少し憂いている。

私の忘れられない旅は今も続いているのかもしれない。

(余談:イタリア男性はとてもカッコ良かったのも鮮明に記憶している)



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