「自己中で困った人」自己愛性パーソナリティは「治る」のか?1年で寛解した体験談
あなたの周りに、こんな人はいないでしょうか。
いつも自分の周りをイエスマンで固める
ちやほやされていないと、とたんに不機嫌 / 不安定になる
学歴や年収、肩書など社会的成功にしがみつく
自分を批判する相手を「やりすぎ」と言えるほど復讐したがる
自分の誤りを心から認めることができない
これらはいずれも、自己愛性パーソナリティ障害に当てはまる特徴です。
自己愛性パーソナリティ障害とは
自己愛性パーソナリティ障害とは、MSDマニュアルによると「誇大性,賞賛への欲求,および共感の欠如」を特徴とする、性格の偏りのことです。ざっくり言うと、「とてつもなく自己中心的な人」です。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、
人からちやほや褒められないと自分を保てない
特別な人物や組織とのつながりを欲しがる
優越感をもつために、人をバカにする
傾向もあります。その性格ゆえに周りに迷惑をかけることもしばしばですが、当人も世間とうまくやっていけないことに苦しみます。そのため、中年期に精神的な危機を迎えやすいともされています。
なぜこの記事を書くのか
私は、自己愛性パーソナリティ障害であると、22歳のときに診断されました。そして、精神療法を受け「寛解」しました。寛解とは、病気による症状や検査異常がなくなった状態を指します。つまり、完治とは違うのですが、異常がとりあえず見られなくなった、という状態です。
診断いただいた病院で寛解を知らされたあとも、いくつかの病院でバウムテスト、ロールシャッハテスト、またカウンセリングなどを経て、「寛解」のお墨付きをいただきました。病院によっては「本当にパーソナリティ障害があったんですか」とおっしゃっていただける程度には、何とか性格を変えることができました。
自己愛性パーソナリティ障害については「被害者」の証言は多数出るのですが、当事者が治療を受けた記録がほとんど残りません。というのも、当事者が治療にたどり着くケースがまれだからです。
社会適応できている自己愛性パーソナリティの方は治療の必要性を感じませんし、不適合を起こしている方も、その性格上「自分が病気である可能性」には目を向けられないものです。
そのため、寛解へ至った体験記はネットにほとんど記録されていません。そのため、いま苦しんでいる周りの方や、当事者の方に向けた情報が不足しています。この体験談を記すのは、そういった方へ向けて少しでも情報提供できれば、との思いからです。
また、自己愛性パーソナリティの人は少なからずあなたの周りにもいます。そういった方とどう付き合っていけばいいのか、あるいは逃げるしかないのか……といった観点でも、この記事がお役に立てれば幸いです。
この記事はあくまで私ひとりの体験談です。みんながみんな、同じプロセスで症状改善につながるとは限りません。また、この記事を見て「あの人もパーソナリティ障害者だ」と断定することはお控えください。パーソナリティ障害の診断には医師の専門的な判断を必要としますが、むやみな断定は差別につながるからです。
自己愛性パーソナリティ障害の治療につながったきっかけ
きっかけは、彼氏の浮気でした。彼氏のパソコンを借りたときに、「今の彼女とは別れるつもりだ。別れたら結婚しよう」と、4~5人の女性へコピペメッセージを送っている彼を見つけてしまったからです。今でも、心臓が冷えていくような「ざあっ」と冷たい怒りを覚えています。
私は号泣したり、怒り狂ったり、やっぱり許すよと言ったり。十一面観音もびっくりの不安定さを発揮しました。ノイローゼとはこのことか、という状態で、四六時中彼の裏切りで頭がいっぱいになりました。
彼だけでなく、相手の女性たちも許せませんでした。ここにはとうてい書けないようなことをしました。(当時、彼からメッセージを送られていただけの女性へ無礼なことをした件について、とても申し訳なく思っています)
こんな私は生きている資格がないと考えました。これまで頑張って勉強し、進学してきたことはすべて無意味だったように思え、人生はまるごと台無しだ……と、イチかゼロか思考に陥りました。そして、自殺未遂を行った末に、病院へ連れて行かれたのです。
今でいうと、メンヘラ大爆発を起こして、彼氏が限界を迎えたとでも言えばいいでしょうか。当時病院へ連れて行ってくれた彼に感謝しています。
きっかけはこんな感じでしたが、それまでに私は合計4回の自殺未遂歴がありました。どれもが精神的ストレスを受けた時に「私の人生はすべて終わりだ」と見切りをつけて行われたものです。つまり、私の人生は「ちょっとでも失敗したら死ぬしか無い」あやういバランスの上で、成り立っていたのでした。
連れて行ってもらった先が幸運にもパーソナリティ障害に強い病院だったこともあり、即時治療を始めることができました。パーソナリティ障害の治療に対応できる病院は都心部でも限られるため、これはとてもラッキーなことです。
自己愛性パーソナリティ障害の治療
では、具体的にどんな治療が行われていたのか。2011年当時の話ですが、幼少期の記憶を洗いざらい話すところから始まりました。治療が始まった当時の私が見ていた世界観をざっくりまとめると、こんな具合でした。
私が見ていた「自己愛性パーソナリティ障害」の世界
私は誰からも愛されずに育った。親はネグレクトで家にいなかった。酒を飲んで暴れることもあった。
世界は私から奪うだけ奪ってきた。愛した人はいじめられて失語症になった。私もまたいじめにあった。先生はいじめっ子の方をかばい「あの子の家庭も大変だから許してやってほしい」と言った。では私は?
17歳のときにレイプされた。そのとき親からは「ざまをみろ」と言われ、元カレからは「俺が付き合っている間じゃなくてよかった。面倒そうだもん」と突き放された。"やはり"生き延びる価値なんてない人生だった。
それでも歯を食いしばって受験で第一志望の大学へ入り、愛するパートナーができた矢先にパートナーが浮気。私の人生は一体何だったのだろうか?
私に、こんな人生を歩ませた世界を許さない。これまで私から奪い尽くした周囲の人間を許さない。私はこれから人を利用する側に回ってやる。
私は、『鬼滅の刃』の鬼たちに深く同情してしまうのですが、そんな背景には過去の自分を重ねることもあります。私はこれまで自分におそいかかった仕打ちに「これから出会う人へ復讐することで」太刀打ちしようとしたのです。それは、逆恨み、あるいは八つ当たりですが……。
人生を丸ごと誰かに「受け止めてもらう」
私にまず必要だったのは、人生で起きたことを「共感的に受け止めてもらう」経験でした。つらかったね、がんばったね、それは傷つくよね、しんどかったね。そういう共感が、人生で圧倒的に不足していたのです。
なぜなら、私はネグレクト家庭に育っていました。さまざまな家へ預けられて育ち「この預け先ではどう振る舞えば怒られないか」ばかりを考える子供になっていました。そのため、自分の感情をそのまま出して、共感してもらえる機会が限られていたのです。
念のため付記しておくと、自己愛性パーソナリティ障害は「後天的な事情」だけでなるものではありません。遺伝や本人の素質、後天的な環境も複雑にからみあっているとされています。ですから、親が100%悪いわけでもなければ、遺伝100%というわけでもありません。
とはいえ、私にとって「誰かに自分の気持ちを語り、醜い感情もそのまま受け入れてもらう」経験はかけがえのないものでした。
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