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我が家にとってゲームとは。

こんにちは。我が家はゲームがそこそこ好きな母とゲームがないと生きていけない息子と、そんな私たちのプレイ事情を我関せずとping値を(動画視聴で)上げまくる娘たちで構成されています。パパはゲームをしない人で、私はパパからすると「ゲーマー」なのだそうですが、私なんかがゲーマーを名乗るのはおこがましいと感じてしまいます。

さてさて、本日、nintendo switchで待望の「あつまれ どうぶつの森」が発売になりましたね。心待ちにしていた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。私も、その一人です。DL版を事前に購入し、本日早朝よりプレイ開始しました。このワクワクする気持ち!!!昨日は、枕元にswitchを置いて、朝起きたらもうぬくぬくの布団にくるまったままプレイするつもりで寝たのです。3月に入りいよいよ発売が間近に迫り、指折り数えて過ごしました。日々のPTA役員の仕事や、息子関連の気の進まない事務手続きや学校とのやりとりもこの発売を楽しみに乗り越えてきました。今日の我が家は、私と子ども3人がswitchを順番に使いながら、それぞれ枝を集めたり蝶々を捕まえたりと朝から大忙しです。

さてさて、実は、このように心待ちになったゲームが過去にもいくつかあったのですが、私たち親子にとって「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」の発売は、暗い暗い出口の見えないトンネルに差し込む、一筋の光のような存在であった、ということを今日は書きたいと思います。

息子が完全なる不登校となって、丸2年が経ちます。2年前の今頃、彼の体調はとても悪く、不調と不安と闘っていました。「死にたい」という言葉さえ使わないものの「この先に生きていく楽しみが何もない」と夜がくる度に布団にくるまって泣くような日々がしばらく続いていました。そんな時期に、switchでのスマブラの発売のニュース。どうにか、12月の発売まで頑張ってみようと、と何度も息子を励ましました。ゲームの話題に集中すると、息子も多少会話が弾むので、私も息子の好きなゲームの話題を投げかけたり、好きな動画の話をしたりして、少しでも明るい気持ちになるようにと過ごしたものです。スマブラの発売の少し前(秋頃だったか)に、これまたswitchでUNDER TALEというゲームも発売も発表され、これもまた息子が好きな(動画で観て興味を持っていた)ゲームが実際にプレイできることとなり、2、3ヶ月先発売予定のゲームが、暗闇に差し込む光のように感じていました。

そうやって、何かを楽しみに過ごすうちに、体調も少しずつ回復し、また、少しずつ新しいことに挑戦する機会もあり、少しずつ少しずつトンネルの中を手探りで進んで行きました。トンネルの入り口ってまだ明るいのですが、進むほど暗くなる時期もあり、もう戻り方もわからない、行き先も見えないという時期がきます。そんな時に、自分が楽しみにしているゲームの発売は、足元をほの明るくしてくれる存在だったわけです。

そしてスマブラまでサバイブしたその後、switch版フォートナイトの発売が息子の転機(?)となりました。今、息子はフォートナイト自体はあまりプレイしていませんが、フォートナイトというゲームを通じて、人間関係を学び始めた気がします。何がきっかけかはもう忘れてしまいましたが、フォートナイトをプレイしている時にたまたま出会った人たちと何度かつながるようになりました。だんだんと仲良くしてくれる大人や、息子より年上のフレンドができました。そのフレンドさんたちとの会話(ボイスチャット)の中で、息子は少しずつ自分の状況や特性のことを受け入れることができるようになったと、その様子を1年とちょっと、観察して感じています。

息子は、コミュニケーションに障害があり、面と向かって人と話すのはとても苦手です。これが不思議なことにボイスチャットだと問題なく会話ができてしまう。そこでは本来の自分でいられるようです。同年代の友達もでき、とてもありがたく感じています。

もし。私自身がゲームの実際を理解できていない人間で、息子がゲームをすることを頭ごなしに否定していたら、息子は今のように元気になっていたかな、と思うことがあります。今、ゲームはコミュニケーションツールの一つであり、さらにそれは自閉スペクトラム症のようなコミュニケーションがスムーズに行かない人にとってはとても強力なツールであると感じています。

先ほど、ボイスチャットだと問題なく会話ができると書きましたが、その理由としては

・お互い共通の画面を見ているので話題が限定される

・さらにその話題が自分の得意分野である

・相手の声以外の情報がない(顔の表情や周囲の景色等)ので会話に集中できる

ということが挙げられるようです。

息子は、リアルの人間関係ではどんな年上にも敬語は使いませんが、なぜかボイスチャットだと相手が中学生でも丁寧語で話しています。敬語を教えたこともなければ、年上には敬語を使うものよ、と改めて諭した記憶もないのですが、ボイスチャットであればそれが自然にできてしまう。

不思議ですね。

でも、できるのだから、それを生かせばいいのだと思う。

オンラインゲームの世界では息ができる。自由に泳げる。そんな子どもが、現実にいるのだ、ということを肌で知ってしまった私は、とてもじゃないけど、彼からゲームを取り上げる気にはなりません。

取りあげたら学校に行くようになるのかというと、そうではないと思うんだな。

もちろん付き合い方、というのは大事なのでしょうが、その付き合い方を行政が一方的に決めてもいいものなのかな、ということを息子と話しています。

私と息子にとっては、ゲームって大事な大事な存在です。




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