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息子12歳になりました

先日、息子が12歳になりました。12年前、二十四節気の一つ「啓蟄」の日に息子はお腹から出てきました。とりわけ育てにくい子であったのですが、初めての育児でその育てにくさが異常なものなのか、自分では判断がつかなかったな。

時々感じる違和感はてんこ盛りでしたが、息子は言葉も達者(すぎるほど)でしたし、当時、発達障害に関する情報は今ほど出回っていなかった。育児情報誌で時々見かける「発達障害」の文字も、自分とは遠い世界のものとしか捉えられていなかった。その違和感のてんこ盛りが発達障害由来のものだと結びつかなかった。

例えば、「目が合わない」ということはない。合うことは合うのです。

「指差ししない」ということもない。する。

「母親の指差した方向を見ない」こともない。見る。

けれども、育てにくさはそこにある。

乳幼児健診の会場でどうしても目立ってしまうひときわ大変そうな親子、想像できますでしょうか?私たち親子は、そんな親子でした。

今でこそ早期に診断を受けることができたのはラッキーだったと思っていますが、当時、それを受け入れるのには葛藤もありました。そして、しかるべき診断やリハビリもうけたのにも関わらず、息子は結局二次障害になってしまったし、学校にも行けなくなってしまった。この経緯を、少しずつ、このnoteに残していこうと思っています。

2年前の誕生日の前後、息子は「この先に生きていくのに何の楽しみもない」と言っていました。「死にたい」という表現は使わなかったものの、毎日「死にたい」という意味のことを言っていました。おそらく一番辛かった時期だと思います。

「石になりたい」「地球外生命体になりたい」「木になりたい」そんなことをしょっちゅう言っていました。

・・・おそらく、心を持たないモノになりたかったのではないでしょうか。それほどまでに自分の心がひどく傷つけられていたのでしょう。

ただでさえ見通しの立たないことへ強い不安を感じるという特性がある息子です。それまで、家と学校しかなかった世界から、学校への道が閉ざされ、自分はどうなってしまうんだろうという未来への不安が大きかったことと思います。それから2年、紆余曲折を経て、今では新しい友達もでき、日々何らかの楽しみを見出しつつ生活しています。学校には行っていないけど、週に3日ほど、市の学校教育支援センターに通っています。勉強という勉強はここ2年半、ほとんど取り組んでいないのですが、ゲームの攻略本や攻略サイトで漢字を学び、興味の赴くままに動画を見て、そこで知識を得ています。興味の対象は次々に変化しますが、海洋生物や古代生物、恐竜、戦争、スパイ、、そんなことに興味があるようです。

息子には視知覚認知に偏りがあり(検査で発覚しました)、例えば微妙な線の長さが識別できないとか(土という字の微妙な辺の長さが認知しづらい)、図形の処理が苦手だとか、ワーキングメモリーが極端に少ないだとか、手指がうまく使えず適切に筆圧がかけられないとか、学習面の困難もたくさんあります。

加えて、通常の人が何ともない明るさでも眩しく感じたり、さらにはそれに痛みを伴ったりする光過敏も持っていることがわかりました。

聴覚も敏感です。触覚も敏感です。なかなかの偏食です。

でも、表情だけ見ると、穏やかに見えたり、嫌がったりしているようには見えないことが多い(これも特性です)。彼が「困ったときの表情」を見せるときは、大抵、すでにパニック寸前に陥っている状況です。

12年間、付き合ってわかってきた彼の特性。何度も失敗を繰り返しながら付き合い方を体得してきたように思います。

ペアレントメンターの講習を受けたときに講師の先生がこう仰ったことがあります。「ここにいるお母さん方は、その道のりは険しすぎるけど、でもたいていの人が到達できない境地に行ける」。とても印象に残っています。まだ道は半ばだし、そんなきれいな言葉を遠ざけたくなるくらい辛い時もありますが、でも、私は、そういう境地に達することを選択していこうと思っています。

子育て、まだまだこれからだなぁ。



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