My「connecting the dots」

『ニューロダイバーシティの教科書 多様性尊重社会へのキーワード』村中直人 著 を読みました。

なるほど!とか、そうそう!とか、大事!とか思ったところに線を引きながら読んだら、線ばっかりになってしまいました。これからずっと側において、ことあるごとに読み返したい、そんな本だなと思います。

あとがきに近づくにつれて、何かこみ上げてくるものがあり、気がつくと涙が頬を伝っていました。

ニューロダイバーシティを尊重する考え方や視点が世の中に浸透した先には、きっと私の息子のようなこどもが自分自身を損なわずに社会で生きられるかもしれない、そしてそれはそんなに遠くのことではない(少なくとも私の目が見え、耳が聴こえるうちのような)気がして、とても勇気づけられました。

自分自身が発達障害の子どもを授かるなんて思いもしない人生でした。でも、息子に発達障害があるということがわかり、いろいろなハードルを乗り越えてきた子育て期間です。

この本の中に「異文化理解」という言葉が出てきます。

この本で、このワードを見つけた時、私の中で「あ。繋がった。」と思いました。可笑しいような懐かしいような奇妙な感覚が込み上げてきました。

そうだよね、私は以前にも異文化理解について勉強した時期があったじゃないかと。

私は大学時代にモンゴル語を専攻していました。それは、学ぶ人が少なそうな語科を志願すれば、その大学に受かる可能性があるかもしれないとの打算もあって選んだ語科でした。何もモンゴルのことを知らないところから、語学を通して異文化を学ぶという経験はとても興味深かったし、少数民族や社会的弱者からみる社会や国家というものも、大学時代に学んだ経験がありました。ただ一方的に理解するだけでなく相互に理解することの大切さや難しさも、学生のあの時期、勉強したじゃないかと。

発達障害を理解することはそれと一緒なのか。それなら。

「異文化理解」というワードはものすごくすんなりと私の心に入ってきました。多数派か少数派かという数の違いはあるものの、そこに優劣はなく尊重すべき固有の文化。

このワードで息子を捉えると、より「沼にハマる」感じがします。息子の言動一つ一つがとても興味深く思えてきます。そして、障害ということに焦点をあてない感じも、気持ちが楽になります。この気持ちが楽になるというのは、ベースとなる脳や神経由来の仕組みを知ることで『前に進む感じ』と、本書にありますが、まさにそんな感じ。


ただ、その一方で。

お子さんに発達障害があって、その対応に戸惑ったり疲弊している真っ最中の、いわば待ったなしの状態のお母さんに

「お子さんのことは異文化と思って理解しましょう!」と言っても

「それはどういうこと?」と余計に戸惑ってしまう気持ちも・・・わかります。

本では、『家族』と『ニューロダイバーシティ』についても触れられています。家族支援の必要性やそのための社会リソースの整備が必要なことも書かれています。その家族支援で自分に何かできることはないかと、私は今、ペアレントメンターとして活動しています。発達障害のお子さんを持つ親御さんのコミュニティを作りたいのです。

活動を通して、実際にお話を伺っていると、過去に自分が感じた戸惑いがフラッシュバックするような感覚に襲われることもあります。まだ診断がつく前の、ただ息子への対応がとにかく大変で、自分が何をわかっていて何をわかっていないかがわからなくて、そして何をわからなくてはいけないのかもわかっていない段階。そんな時期の親御さんを支えるには、「異文化理解」ということをもう少し噛み砕いた言葉でお伝えすることも必要なのかなぁと感じました。

おそらく自分にできることは、

①自分が子育てで経験した苦労や感情をベースにしながら

②この教科書の知識を理解し噛み砕いて、もう一歩、毎日の生活に近い言葉で

③親御さんの感情に寄り添いながら、一緒に勉強する

ということかな。。

ペアレントメンターは悩みを解決したりアドバイスするために存在しているわけではありません。研修ではアドバイスはしないほうが良い、とも言われました。

一緒に泣いて、一緒に笑う、必要なら、然るべき専門機関に繋がれるよう情報を提供する。それがペアレントメンターの役割ですが、お母さんたちは、きっと自分の気持ちが受け入れられると、自分にできることを探し始めると思います。その段階で異文化理解への具体的な知識や自分のあり方を一緒に勉強できる存在でありたいと思います。

『家族』✖️『ニューロダイバーシティ』の章で

<親子間の「脳や神経由来の異文化」に気づくタイミングは早ければ早い方がよく、できればそれは「障害」や「問題」として顕在化してしまう前であってほしい>

ということが書かれています。身につまされます。

我が家も、息子が今、不登校状態にあります。

発達障害そのものよりも、不登校になってからの方が悩みが深い日々を送っています。また本人が非常に大きなダメージを心身に受けてしまいました。そこから回復するまでの期間やその間の苦悩を考えると、正直、どの親子にももうこんな思いはしてほしくないな、、、。そのために自分ができることは何なのか。「半径10mの社会適応」の提供のために何ができるのか。

そのためには。自分の経験をシェアしたり発信したり、自分自身がコミュニティを作ることが身近な誰かの助けになるのでは。

自分も息子も、それぞれが辛い経験をしましたし、それこそ異文化への相互理解がない状態で、孤独や孤立を感じることもありました。でも、一方で、息子を通して出会った人や考え方や理念に、自分自身が救われて生きています。息子との日々は大変でもありますが、でも、息子を持つ以前よりずっと、私自身は生きやすくなりました。自分の中の既成概念をぶっこわして、私という人間の殻を破って、無理矢理限界突破させてくれたのは、いうまでもなく息子です。

それは時にものすごく大きな痛みも生活上の制限も伴いましたが、じゃあ、息子のいない人生が選べると仮定して、それを選ぶかというと・・・答えはNOなのです。

自分の中の点と点を繋いで、こんな自分だからこそできる発信を、自分の活動を通して続けていこうと思います。私にとって息子は、とても大きな、そしてとても吸引力のある「点」です。

明日、息子は13歳を迎えます。

彼は、10歳の誕生日の前、「この先に生きていく楽しみが何もない」「明日が来なければいいのに」「無生物になりたい」「時間が続くのが怖い」と言って毎日泣いていた時期がありました。そんな息子とずっと一緒にいる私の心も切り刻まれ引き裂かました。

なんで同じ親から産まれたのに、妹たちは「普通」で僕は「普通じゃない」の?と息子は言いました。もう「普通」のフリは、無理なんだよ、と。

そこから少しずつ自己理解も進み、息子本人も自分のことを少しずつ受け入れつつあり、今があります。少しずつ社会も変わってきているのを感じますが、まだまだです。それこそ、「障害」という診断がなければサポートを受けることが難しいのが現状です。

けれども、今回この『ニューロダイバーシティの教科書』を読んで、生きやすい社会は手の届くところにあるような気がしています。そして自分自身が、世界にのぞむ変化そのものになろうと、改めて決意しました。

13歳。本書にある<個人のアイデンティティとしての「自閉スペクトラム者」>の位置付けについての考え方は、今、思春期を迎える息子を持つ私にとってはとても大切なことだと思います。今後、息子がどのように自分を理解し、アイデンティティを確立していくのか。それを見守る過程でこの本は常にそばに置いておきたいと思います。

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