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推しに届けられるのは『声』だけじゃない #とうふレポート


皆さんは「推し」という存在はご自身の人生にいますか?

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「推し」がいる方々には大きく分けて2種類、「推し」に届けたい声があるよって人と、別に個人的な声や気持ち・感情は伝わらなくていいよって人がいると思います。

僕は前者なんですが、ここ最近は色々な推し方があるな、と感じることが多いので今エントリでは「推し」に伝えられる「応援」のカタチについて、自分の経験を基にちょっと色々考えてみたいと思います。

自分が送った最古の「声」ってなんだっけ?

中学生の頃、東方projectの二次創作SS界隈で呼吸をしていた頃、自分が尊敬していたSS作家の方に、Twitterに慣れていなかった頃の自分が必死こいて140字以内で投稿された最新作への感想送っていたのが最古の記憶です。

インターネットで創作している人に一般消費者の自分の感想が簡単に見える形で送れて、運が良ければレスポンスが返ってくるみたいな。そういう良い意味での垣根の無さはTwitterでの「応援」というのは気軽で、自分が感想を送るとか応援するって言う行為自体に意味を見出しやすかったように思います。別にレスポンスを貰うために感想書いたりしてる訳じゃないけど、そこにリアクションが付けばより嬉しいな~って。

『創作が出来る人は殿上人である』って意識が今もそれなりにあって、ファンとしての自分が作品を介して色々と話することができるTwitterは僕が当時飛び込んだ界隈の特性も関係していますが自分にとってはすごくありがたい環境でした。この頃からインターネットにおいて生み出された作品や創作物に対して感想を述べる、伝えるというひとつの「応援」のカタチを自分は実践していたと思います。

二次ドルコンテンツにハマってた頃

「応援」を意識的にやり始めたのって自分にとっては二次ドルコンテンツのライブが初めてのことでした。

2014年6月当時、『THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 1stLIVE HAPPY☆PERFORM@NCE!!』の2日目にライブビューイングで参加した時のこと。自分はそもそもライブ公演というものに縁もなく、初めての現地参加が決まっていたライブの前哨戦として参加しました。ライブビューイングでもひしひしと感じる熱量というか、具体的にはオタクのコールにめちゃくちゃ感化された覚えがあります。ライブって映像で見ててもこんなにスゴいんだと思ったしめちゃくちゃ楽しかった。

初めて現地のライブに参加したのが2014年8月、ライブビューイング参加から2か月ほど経った後の『THE IDOLM@STER 9th ANNIVERSARY WE ARE M@STERPIECE!!』2日目でした。その時は喉が枯れるのもお構いなし、客席の有象無象のうちの1人だったとしても声を上げ続けました、出来る限り前へ届けと言わんばかりに。ちょうど夏の現場で会場内の気温も上がってましたし、熱に浮かされていたようなところもありどこか現実味がない感覚があって、とても記憶に残っているライブです。そこからライブというものに取りつかれて、アイドルマスターの公演をライブビューイングを中心に見ていきました。

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ただ、アイドルマスターってコンテンツはツアー公演も結構あって、ライブビューイングの参加回数が増えてくるとどうしても現地参加の熱気との乖離が目に着くようになってしまいまして。「届かないと分かっている状況で声を上げ続けること」に疑問を抱くようになりました。この主張に関しては賛否あると思いますが、一度現地の、もしかしたら自分の声が届くかもしれないというシチュエーションを経験しているからこそ、ライブビューイングで「何してるんだろ」っていう感覚に囚われてしまったというか。曲間のMCのタイミングで着席を促す場面があると思うんですけど、その際に映画館の心地よい空調の風を肌で感じてから急に引き戻される感覚があってそこからですね。

いつからか、ライブビューイングはライブ内でこういう演者同士のやりとりがあった、とかこの組み合わせで歌った、という事実確認にしかならなくなっちゃっていました(もちろんライブビューイング自体ない公演に比べれば見る機会が与えられているだけ格段にありがたいことではあるんですが…)。

そういった熱感の低下も感じつつコンテンツを追ってるのと並行して、声優の雨宮天さん個人を追いかけていたので、自分の関心は徐々にそちらの方に移行していきました。自分が推している対象が「コンテンツ」ではなく、声優という「個人」に切り替わったことで自分の「推し方」とか「応援」の仕方が変わってきたと思います。これは『「推し」ている対象』が何なのかということにも関わっていると思います。

2015年10月に雨宮天さんの3rdシングル「Velvet Rays」の東京でのリリースイベントを皮切りに、自分の参加するイベントやライブ毎にファンレターを書くようになりました。

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せっかくイベントに参加して、手紙という形で「何かしらを伝えられるのであれば記念に…」という一回ポッキリを想定した動機で始めました。

これが色々と縁があって継続してイベントやライブに参加できることも増えたので機会がある度にファンレターは書いてプレゼントボックスに投函するようになりました。自分はラジオのハガキ職人でもなかったしイラストも描ける訳じゃないし、フラスタ贈るような企画力もなかったし、自分ができる範囲で伝えられる応援のカタチっていうのがファンレターくらいだなと思って愚直に継続しました。

こう言ってしまうとファンレター自体、義務感で書いてたのか?と取られそうですが、そうではありません。ある種自分の勝手で一方的な気持ちを伝えるというクローズドな行為だったので本当に良いのか?という自問自答があった結果です。このあたりは「応援」のカタチを取って対象に自分の気持ちを一方的に伝えることを是とするのか?みたいな問題が自分の頭の片隅にあるからこその煮え切れない書き方なんですが、これはまた少し焦点当ててどこかで話したいですね。

Vtuberの《推し》への声を届けるということ

ファンレターのようにクローズドな応援の仕方の歴が長かったので、今主な視聴対象としているVtuberに対してのオープンな場での応援の仕方に戸惑ってるところはあります。ただ、この10数年で取り巻くものや人の価値観は色々と変わってきたと思います。それはもちろん、「推し」に対しての伝え方もその例に漏れません。

新しい手段としての「応援」のカタチや精力的な発信の模索についてはVtuber界隈で活躍している人へのインタビュー記事を精力的に更新されている日向キタロー氏の「Vのオタクたちよ、記事を書こう。」には、色々な「応援」のカタチについて自分の言いたいことに大分近いことが書いてあるのでこちらも参照してください。めちゃ良い記事です。

>紹介するものを他の人があげていても、「あなたが紹介するそのこと」は一つしかないとも。内容が被っていようが、「その人が書く、その物事に対する思い」は被りようがないとても大きいことだと思います。

>記事とかに限らず、そういう「応援の形」がたくさんあふれるような世界にもなってほしいなっていうのも願望ですね。


届けられるのは本当に《声》だけ?

これはオタクのエゴに近い感情なんですが、創作できないからと言ってただ提供されたエンタメやコンテンツを消費するだけの存在にはなりたくないと思っていて。昔であればそのポジションにいることしかできなかったかもしれないけど、今はフィールドによっては提供されたエンタメやコンテンツを消費したリアクションとして様々な手段や講じることで、「応援」になる上、そのための手段ってそこら辺に転がってるんですよ、気づいてないだけで。でもってそれらを応用して新しいものを創れる可能性があるんですよ。その営みからその人独自のオリジナリティを発揮できたり新しい創作になれば良いなと僕は思ってます。

「応援」のカタチを色々と工夫することって単に伝わり方の精度を上げるって欲求だけじゃなくて自分が消費者としてのオタクに留まりたくないという別の欲求によって突き動かされているマインドと行動でもあると思ってます。

でもまあ、今ってこんなこと僕が偉そうにnoteで記事にして偉そうに講釈垂れなくてもみんな他の人のやってること見て自分はこれが出来そう!って思ってやってると思うので、別に気にせず皆思うようにやればやっていけばイイと思います。僕は「多様性」を認めたいから人のやることには出来る限り口出したくないって思うし、他人に口出すってことは自分のやることにも口出されるってことだし。ただ、思考停止で在り方を認めるのではなくその取り組みの意図もキチンと伝わる形で発信できればいいし、そこを発端とする気持ちを尊重できればより良いよねって思います。まあこういう考え方って人の振る舞いに関することなので意識して訓練しないと口先だけになっちゃうんですけど…。

色々駆け足で書いてきましたが自分で書いててもツッコミ所がいくつかあって(例えば応援ってそもそもリターンを求めてやることなの?とか。投げ銭スパチャの議論もこれに類した問いだと思いますが)、もう少し細かくピックアップしてどこかで記事にしていきたいなと思います。

ともかく、どういうモチベーションと気持ちを持ってその選択肢・手段を用いているかということを分かっておいたほうが無為な言い争いとか衝突は避けれるし、自分はこうだというスタンスをハッキリ理解しておくことが一貫した姿勢での「応援」になると思うので。僕も長年悩んだりしていく中で新事実発覚したりするので少しずつ全体の解像度を上げていければ良いんじゃないかなと思います。また、推す対象によって取り巻く環境が違うのも先述した通り。とにかく考え続けることが重要かと思います。

せっかく好きで「応援」するなら喜んでもらえて、アウトプットとしての質も高めて、界隈に良い形でコミットしませんか?という提起でした。自分もいろいろと試しているところなので積極的にその辺りは意見交換したいと思いますね~。


余談

マジのマジのマ~~~~~ジの余談ですが僕が書いてきた今までで一番の大作ラブレターを下記URLに掲載しておくのでマ~~~~~ジで暇な人はよければ読んでください。熱意だけは伝わると思います。

以上!

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