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誰かが立てなかった場所にあなたは立っている

友人のバンドが新しいミュージックビデオを公開していた。ヴォーカルの女の子は、私の知らない人だけれども、いいなぁと思った。
自分のバンドを持ちたい夢がある訳でも、歌手になりたい訳でもない。それなのに、スマホに映る女の子を見ていたら、自分の部屋が羨ましいのプールにでもなったかのように、羨ましい気持ちが溢れ出て、溺れそうになった。

そのミュージックビデオに映っているのは、夜道で歌っていたり、歩道橋を歩く後ろ姿だったり、とびっきりの笑顔だったり、いかにもミュージックビデオっぽい。そんなヴォーカル担当の女の子だった。

女の子は、私から見ると自分に自信があるように映っていた。はっきりとした顔立ちで、スタイルだって良い。自分に自信がなかったら、カメラにあんな笑顔を見せれないと思う。歌だって自信がなかったら自分の歌声を不特定多数に配信しようとも思わないだろう。いいなぁ。

いいなぁって思うのは簡単で、きっとこの女の子はたくさん努力をしてきたのだろう。上手くいかないことだってあるのだろう。失恋だってするのかもしれない。ミュージックビデオに映る5分程度の女の子しか知らない私のいいなぁはとっても無責任で失礼なものなのかなと思った。

今回だけじゃない。日常的に発作のように「羨ましい」という気持ちでいっぱいで息が出来なくなる時が多々ある。

美容院に行っただけで、自撮りをSNSに投稿できる女の子。

友達と行った旅行なのに、自分一人だけが映る可愛い写真を投稿できる女の子。

目が赤く、嬉し泣きをした後だと分かる顔で花束を持ち「プロポーズされた」と投稿する女の子。

これを書いていて気付いた。私は、SNSに自分一人の写真を投稿することのできる、自信に溢れた同性にコンプレックスを感じるのかもしれない。

私は、SNSに自分の顔を載せるのが苦手だ。誰も私の写真なんて望んでいないと思う。誰得だよ。って思う。だから、インスタグラムは景色や食べ物の写真ばかりだ。自分が映っている写真は3人以上との写真じゃないと無理。
そんな写真たちだって、後で誰得でもないよなって思い直して、時間が経つと削除してしまう。めんどくさいやつだ。

誰得でもないとか、自信が無いと言いつつも、こんなやつが一番人からどう思われているかを気にしているんだと思う。一周回って、一番私が自意識過剰なのかもしれない。
現に、誰得でもないnoteを投稿しようとしているじゃないか。

自分に自信を持っていて笑顔が向日葵みたいな、キラキラした女の子になりたかった。元気いっぱいな女の子になりたかった。

周りは私を「清楚だよね。」と言ってくれるけど、それは地味で目立たない大人しい人と解釈している。

いつだってないものねだり。いつまでたっても、ねだる側の人間だ。
ねだられたことなんて一度も無いと思っていた。

この間、いつも元気で笑顔で、まさに向日葵みたいな女の子にこう言われた。

「魚ちゃんの雰囲気ってすごい良いよね。おしとやか~って感じ!私にはないから本当に羨ましい!人見知りだけど、喋ってみるとすごい笑ってくれるし、癒される~~~~~~!!!」って向日葵みたいな笑顔で言われた。

こんな私でも、羨ましいって思われるんだ。お互いないものねだりしているだけであるけど、ないものねだりって、一方的な言葉じゃなくって、もしかしたら、ないものをお互いにねだりあっているから出来た言葉なのかもしれない。

自分が誰かを羨ましいと思っているばかりだと思っていたけど、知らないだけで、自分だってどこかで誰かに羨ましいって思われていることもあるのかもしれない。

誰かが立てなかった場所にあなたは立っている。

そう思と、なんだか自分にも少し価値が生まれたような気がした。

羨ましい気持ちでいっぱいで、息が出来なくなる日だってある。それでして、僻んでしまう時だって多い。僻んでいると、そんな自分が嫌になって更に自分の事が嫌いになる。

友人が、私に「良いよね」って嫌味も全く感じられない言葉で伝えてくれたみたいに、私もこれからは、いいなぁって思う人には「あなたのこういう所が素敵だよね。憧れるな。」って自分の言葉で伝えられるようになりたい。

言葉を選び間違えないように、批判や嫌味のない、素敵な言葉が使えるようになりたい。きっとこれが、羨んで僻んでばかりの私に今できることだ。


#エッセイ #自信 #いま私にできること #ないものねだり #ひとりごと

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