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オーストラリアで家を失いかけた話-破

こんばんは。

さて、異国の地で犬になってしまった私ですが、今回はその続きです。

ひとしきり酔っ払ったあと、私たちはそれぞれの部屋で眠りにつきました。
そのまま何事もなければ、若さゆえの酒の失敗談で済んだのですが、そうはなりませんでした。翌朝の私は、大家さんに「話があるから少し来い。」と言われて目を覚ますことになります。

そのシェアハウスは二階建てで、二階に台湾系オーストラリア人の大家さん一家が住んでおり、一階の四部屋を留学生に貸し出していました。入居の際に、「二階には私たちファミリーが住んでいるから、基本的には上がってこないでね。」と言われていたのですが、早くもそのお二階に招待されたわけです。

忘れもしません、二階のリビングには、徹子の部屋さながらL字型にソファが配置されていました。私を出迎えた大家さん一家のおばあちゃんは、トットちゃんほど和やかな雰囲気ではありませんでしたが。

「悪いけどあなたをこの家に住まわせることはできない。」

どうして人は悪いと思ってないときにしか悪いけどという導入の仕方をしないのでしょう。二週間の猶予をくれましたが、私は入居してから48時間も経たずに立ち退きを言い渡されたのです。

すぐに出かけていた友人に電話をしました。

「俺、追い出される。」

帰ってきた友人は、私にある提案をしました。

「もう坊主しかない。」

国は違えど同じアジア、ジャパニーズ謝意は伝わるはず、友人はそう語気を強めました。とは言え私も20代男性です、毛先くらい遊ばせたいお年頃真っ只中ですから、多少の抵抗はありました。「文化の違いの壁は俺たちの想像より高いのではないか」、そう主張し、くだんの夜に一緒に飲んでいた台湾人の友達に意見を求めました。
「坊主にして誠意を見せるというのは台湾の文化圏でも伝わる?」と尋ねると、私たちより少し年下の彼は、"Yeah, maybe."とこともなげに言いました。彼の適当さに一抹の不安もありましたが、もう彼のいうことを信じて、坊主頭の誠意が海を越えて伝わることを信じるしかありませんでした。こうして私は、人生で初めて坊主になることになったのです。

「サイドからいくと決意が揺らいでツーブロックに逃げる余地を残すから、こういうのは真ん中から行くに限る。」
やらかし坊主経験者だった友人は、そう言って私の額の真ん中から躊躇なくバリカンを走らせました。少し楽しげでした。何はともあれ、昨日までの「坊主頭になったことのない私」は、もうそこにはいませんでした。

大家さんに交渉に行く際、友人も付いてきてくれました。坊主頭という飛び道具を手に入れた私たちは、居住権という勝利を手中に収めることを信じて疑いませんでした。

話をさせてくれ、という私たちを出迎えたトットちゃんは毅然としていました。早くもその威厳に気圧されそうになりながらも、私たちは必死に戦いました。酒は買わない、友達も招かない、寝食と勉強にしか使わないからどうかこの家に済ませてくれ、言葉を並べるほどに、私たちの絶望は増していくようでした。大家さん一家のお母さんは、最後には少し同情を示してくれました。おばあちゃんに考えなおすように伝えてくれましたが、おばあちゃんの決意は固かったようです。結局、私がその家を去ることになるという事実は変わりませんでした。

もう二度と立ち入ることのないであろう二階から、一階のリビングにおりてきた私たちの間には、静寂と虚無感がたちこめていました。

とんだ無駄坊主やないかい!!!!!!!!!

家を失う経緯はここまでなのですが、事の顛末とエピローグを次回お届けしたいと思います。

もしこれを読んでいる方の中にオーストラリアで台湾人をブチギレさせてしまった人がいたら、私から1つアドバイスさせてください。

「文化の壁は想像以上に高い。」

それでは、また。

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