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個人主義の時代に

大分声をあげやすい時代だ。文字通り全国民が発信者になりうる。

Twitter, Instagram, Facebook, YouTube, note, TikTok、何者でもない一介の市民が何かを発信する手段を数えただけでも枚挙に遑がない。

インターネットは一般人にスポットライトが当たりうる環境を生み出し、そうした中から埋もれかけていた秀でたものに注目が集まり、さながらシンデレラストーリーのような脚光の浴び方をした話も少なくない。なんともまあ大いに結構である。

人々は希望を抱き、我も我もと主張を始める。

こっちも見てくれ、ほら、ここにもいるぞ、と言わんばかりに万人が叫ぶ。

うるさい。

世界は謙虚さと内実を欠いた名誉欲と承認欲求の怒号で満ち溢れてしまった。

瑠璃も玻璃も照らせば光るのだから、そうがなり立ててくださるな。居心地が悪くてしょうがない。

勿論、何かを実践している人はそれだけで立派だと思うので、その点において尊敬はするのだが、どうにも品がなくて私には合わない。

ただストイックに生み出し続ける寡黙な天才の方が、私の目には魅力的に映る。

そうして私はこのひっそりと続けている日記をどこにも公開することなく、ただハッシュタグの撒き餌と共にインターネットの海に放流する。


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