部下の話しを傾聴していれば、彼は退社せずに済んだはず
みなさんは誰かに本当に自分の話しを聴いてもらったことはありますか?
誰かに本当に自分の話しを聴いてもてらうと、驚くほど心地よい体験になります。
でも日常生活の中では、そういった経験をすることは滅多にありません。
もしも、あなたの話し相手があなたの話しに全神経を集中させて、あなたの発する言葉一つ一つに興味を示し、心から共感してくれたら、きっとその人との関係性は今までよりも格段にいいものになるはずです。
本当に聴いてもらっていることがわかったとき、人は心を開きます。
私はそう信じています。
でも現実には、自分の話しを本当に心行くまで聴いてもらえることは中々ありません。
また、聴いてもらっているようで実は何かほかのことを考えている様子だったり、反論のチャンスを待っている様子だったり。
私たちはみんな、本当の傾聴と偽りの傾聴の違いを感じることができます。
私たちは子供の頃から、会話の相手が本当に傾聴しているのか、聴いたふりをしているのかを見極める訓練を十分に積んできています。
ただじっくりと、思う存分話しを聴いてくれるだけでいいのに。
それも、半年に一回でいいのに。
タイミングを見て自分の想いを話し始めると、頼んでもいないのにアドバイスをくれたり、その話題にまつわる自分の話しをし始めたり、ひどい時には否定されたりするものです。
私も過去にたくさんの嫌な経験があります。
軽井沢の丸山珈琲で飲んだコーヒーが本当においしかったのでその話しをし、その流れで少し深刻な話しをしたかったたときのこと。
いきなり相手が「コーヒーなら馬車道の〇〇のコーヒーが一番だよ、今度豆を買ってきてあげるよ」といって話を奪い、本当に後日、豆を買ってきてくれたときのこと。
いや、実はコーヒーの後で大事な話しを聴いてほしかったのだけど。
父が亡くなり母を介護施設に入居させた頃、苦悩の胸の内を聴いてもらいたくて話した時。
「そういう場合はこういう組織がサポートしてくれるから連絡してみたらいいよ」と、これ以上の親切はないと言った様子で、頼んでもいないのにアドバイスをして来たり。
デル・カーネギーは名著『人を動かす』の中で、ジャック・ウッドフォードの言葉を紹介しています。
「どんなほめ言葉にも惑わされない人間でも、自分の話しに心を奪われた聞き手には惑わされる。」
また別の引用で「世間には、自分の話しを聞いてもらいたいばかりに、医者を呼ぶ患者が大勢いる。」とも書いてありました。
「私たちの顔に、口がひとつなのに対して耳が二つあるのは、それだけしゃべることより聴くことの方が重要だということだ」
どこかで聞いた話です。
世の中はしゃべりたい人であふれています。
誰もが自分の話しを聴いて欲しいと思っています。
だから聴き手が足りない状態です。
このことは、上司と部下との関係、夫婦の関係、親子、患者と医師、友人同士、あらゆる人間関係において言えることです。
みなさんは会社で部下の話しを途中で遮らずにじっくりと最後まで聞いたことはありますか?
良かれと思って、頼まれてもいないのに話しの腰を折ってアドバイスをしたり、否定したり評価したりしていませんか?
中には、そうやって教育するのが上司の役目だと思っている人もいるかもしれませんが、必要なことを教える時と、部下の話しを聴くときとをしっかり区別しなければなりません。
社員が会社を退職する理由のトップは、上司との関係性です。
社員は会社が嫌で辞めるのではなく、上司が嫌で辞めるのです。
自分の話しも聴いて欲しいかも知れませんが、部下の話しも傾聴してあげてください。
そうすれば、彼は退職せずに済んだかもしれません。
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