見出し画像

ウソをつけない国と(自分につく嘘)のはなし

テレビアニメで「ウソのつけない国」という設定が出てきた。おもしろかった。

王様が〈ウソがつけなくなる結界〉を国中に張っているのだが、その国の人は誰もしゃべらなくなっていた。すぐにケンカになるからだ。

もし、日本がそうなったらどうなるだろう?

そば屋のメニューにはもりそば400円(原価80円)と書いてある。
定食屋には〈そろそろ腐りそうなナスを使った日替わりメニュー〉
ちょっとだけ食べたく無くなる。
だから、メニューも出さなくなる。

誰かの為に何も出来なくなる。
誰かの為に話しかけたり、お店に来たお客さんに声をかけたり、メニューを出したり、周囲をコントロールしようとした瞬間、必ずどこかで、ウソをついてしまうのだ。(腐りそうだった食材を捨てずにすむ)…と話してしまうわけにはいかないからだ。

これはオレの人生のテーマ〈周囲にどう見られるかが重要〉で〈自分がどうしたいか〉より優先される事に、関係があるように感じた。

そして、〈ウソをつく事〉と〈バレて恥ずかしい思いをする事〉が大嫌いである事に、関係しているように感じた。

人は日々社会の中で大なり小なり〈ウソをつく〉。仕事の時はなおさら〈ウソをつく〉。または〈思っている事を隠す〉。

そして、自分が〈ウソをついている事〉に気がつかない。
自分が〈隠し事〉や〈ウソをついている〉自覚がない。

ちょっと言い方がキツい上司にも、〈あなたの言い方はキツい〉とは言わない。ウソをついたり、そう思っている事を隠したりている。
だが、自分でそれが〈嘘や隠し事〉だと気がついていない。
自分はセイレン潔白な人間で〈嘘や隠し事〉をしない人間だと思い込んでいる。

これは〈自分にもウソをついている〉事になる。

オレは最近この事に気がつき始めた。
キッカケはこうして文章で心の整理を初めてからだ。
自分の為に書いているから、ウソをつく意味がない。

自分自身に対してアクションを起こしている時、自分の為に何かする時、〈嘘や隠し事〉が入るスキマがなくなる。

逆に、他人に対してアクションを起こしている時、〈他人の為〉に何かする時、どう見られるかが気になる時、他人をコントロールしようとする時、
〈嘘や隠し事〉が入るスキマができる。

こうして文字を打ちながら、自分の為に、自分に向けて自問自答をしている時、ウソがなくなる。飾りもなくなる。照れ隠しもなくなる。

オレはそうしている時、自分が恥ずかしくなくなる。
自由な感じになって、気持ちが良くなる。
オレの人生のテーマでもある〈他人にどう見られるかの他人軸〉が消える。
自分がやりたい事をやれている気がする。〈自分軸〉というヤツだ。

だから、オレはこういった心の整理が最近好きになっている事に気がついた。

コレはバシャール という人が言っていた〈ワクワクの理論〉にも関係している気がする。

今はまだ日本は〈ウソが必要な国〉だ。でも、もうすぐ〈ウソが不必要な国〉になる気がしている。
最近の世界の人々はどんどん〈いい人〉になっている。
ヨーロッパでは、たった300年前に〈魔女狩り〉が行われて、日本では公共の場で処刑が行われていた。
ほんの最近まで、恐ろしい事が常識だった。それが最近はどうだ、どんどん人の心が良くなっている。

だから、〈ウソをつく必要がない国〉はもうすぐそこに来ているんだと思う。
早くなるといいなぁ。そんな国に住みたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?