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当麻町民なら必ず通る道

テレビゲームなどなかった幼い頃、プラモデルを作るのが一番の楽しみでした。1カ月のお小遣いは300円でしたが、当時は100円から買えるプラモデルがありました。

当麻町内にはプラモデルを売っているお店が3店舗あり、よく“はしご”していたことを覚えています。現在、町内でプラモデルを販売しているのは「はしだ商店」さん1店舗のみ。たくさんの種類の駄菓子と花火が迎えてくれる店内には、今でも少量ですがプラモデルやおもちゃを販売しています。

はしだ商店さんは3代目店主の橋田喜代治さん、しげみさんご夫妻、そして息子さんの慧喜さんが切り盛りをしています。喜代治さんのおじいさんが荒物雑貨(生活雑貨)店として明治33年に開業。当麻町が「當麻村」としてスタートしたのが明治26年ですから、ほぼ町の歴史とともに歩んできた老舗ということになります。住居を兼ねている現在の店舗は大正10年頃に建てられており、店舗部分は改修が加えられていますが、住居には当時のままの箇所もあるそうです。

昔は、駄菓子のほかにインベーダーゲームなどのテーブルゲーム機もあったはしださん。子どもにとっては買い物に行くというより“遊びに行く”という感覚だったのではないでしょうか。「当麻の子どもたちは、はしだ商店で育った」なんて言われるほど、多くの子どもたちが遊び場として利用しており中学生や高校生も来ていました。このため“不良のたまり場”と認識する親御さんもいたようで、学校帰りの寄り道はもちろん、買い食いはご法度。「はしだ商店に行くのはダメ」と禁止令を敷かれていた同級生もいました。お祭りでは、はしださんの前にも出店が出ていましたが、「出店でお金を使うより、はしださんで好きなものを買った方が良い」と、出店よりもにぎわっていました。

自動車や飛行機などをはじめ、アニメキャラクターなどのプラモデルが所狭しと陳列されていた店内。学校帰りに入り口から覗いて新商品が入庫しているか確認した後、家に帰りお金を握りしめ、自転車を走らせた思い出があります。陳列棚の上の方にはラジコンや大型のプラモデルがあり「いつかあれを買おう」と思っていましたが手に入れることはありませんでした。一定の時期までは残っていたそうですが、昔の模型やラジコンの価値が上がり、わざわざ本州から来て買い占めていく人がいたそうです。「価値がわからないからね、定価か定価の1割引きくらいで売っちゃったんだよね」とは喜代治さん。声を掛けてほしかった!

ファミコンブームの到来とともにプラモデルの売れ行きが低迷したことからプラモデルの販売を縮小して、ゲーム機本体やゲームカセットも取り扱うようになったはしださん。当時はカウンターにテレビとファミコンを置いて2ゲームを100円で遊べるというサービスも行っていました。その後、プレステが主流になりましたが販路が違い、問屋からの入手が難しくなったため、今の駄菓子と花火が主流の販売に変更したそうです。

お店に立つしげみさんに「これいくら?」と聞くと「○○○円」と即答で返ってきます。プラモデルやおもちゃだけでなく、大量に駄菓子を買っても計算が早い…。聞くとほとんどの商品の定価が頭の中に入っているそうです。さすがに花火は種類が多すぎて値札をつけているそうですが…すごいですね。

朝9時から夜7時(夏は夜8時)まで店を開け、お休みは元旦のみというはしださん。先々代から「1年の始まりの日にお金を使うと、その1年間お金が出ていく」と言われ、“元旦だけはお休み”を貫いています。仕入れのためやむを得ず店を空ける時はお客さんが連絡できるように、店の入口に携帯電話の番号を書いているそうです。

先日、映画のロケがはしだ商店さんで行われましたが、その時来ていた有名女優さんが気に入ったおもちゃを「持っていきな!」と気前よくあげたそうです。

少し高価なものを買うと必ずおまけしてくれるはしださん。大人になって取材にお邪魔しても「休みながら仕事しな」と飲み物を出してくれるはしださん。

「今でも来るのは子どもが多いけど、昔ここに来ていたという夫婦が自分の子どもと一緒に遊びに来ることもあるんだよ」

“不良のたまり場”なんて不名誉なレッテルを貼られていた時期もありましたが、もしかしたら子どもたちにとっても、大人にとっても大切なことを教えてくれる場所なのかもしれません。

「商売の儲けはあまりないけど、年金で食べていけるからね」と笑顔で話す橋田さん。そうそう!橋田さんご夫婦は今年で結婚50年目を迎えるそうです。これからも小さな子どもから大きな子どもまでよろしくお願いします!

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