デリカシーとか傷とか、目に見えるものとか見えないものとか

 追試にかかったからああだこうだとか言われて、僕のこころはちくちくと突き刺される。あるいは、ぎゅっと握りつぶされる。そんな気がする。たぶん。

 たぶんというのは、今嫌だと思ったなとか辛いと思ったなとか感じるのだけれど、それが他人事に思えるからだ。僕は僕の出てくる小説を読んでいるみたいに、僕の気持ちを考える。適切な選択肢はどれか選ぶ。

 追試のことなんて、とやかく言ってこなくていいのに。触れられるだけで痛むのだ、その部分は。おそらく。どういうつもりでLINEしてくるのだろう。元気を出してもらいたいなら逆効果だし、ただの雑談なら想像力が足りてないし、気を惹きたいなら自分勝手だ。つまり、デリカシーがないってやつだ。
 他人のこころなんて見えない。だからどこに触れてよくて、どこは痛くて、どこを優しく撫でて欲しいかなんて分からない。
 きっと僕のこころは他のひとと形や傷の多さや痛む場所が違っていて、取り扱いが難しいのだろう。だから、たぶん「普通」くらいのひとに対して、デリカシーがないなんて思ってしまう。

 そして僕にも僕のこころの形は見えない。見えないだけじゃなくて、感じることが出来なくなってきてしまった。たぶん今楽しい、たぶん今辛い、たぶん今疲れてる、国語の試験問題を解くみたいに自分のこころの状態を文脈から読み取ろうとしているだけ。

 だから僕は自分を傷つける。目に見える傷がついてやっと、ああ僕は辛かったんだと心から思えて涙が出てくるから。いや、前まではそうだった。
 久しぶりに、ご丁寧に剃刀と肌の消毒をしてから切り進めていった皮膚を見ても何も思わなかった。痛い、と思って、でもそれだけだった。痛みすら半分は他人ごとだった。反射で痛いと思ったあとは、別にどうでも良くなる。
 お医者さんに、切るのはいいけど衛生面には気をつけてね、と言われたから消毒液も絆創膏もガーゼもちゃんと使った。何も感じないこころで、淡々と、プログラムされた機械が動くみたいに。

 この状態が、目指すべき状態なのだろうか。確かに辛くなくなって、それはお薬や治療の効果なのかもしれない。でもその代わり、なにかとても大事なものを失ったような気がする。

 だから目に見える傷を肌に刻む。たぶん消えない傷痕になるだろう。そのために深く切った。いつの日かそれを見て、何かを感じる日が来るのだろうか。

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