顔を使い分ける

 僕はたくさんの被り物を持っている、という話をした。

 その被り物を、意識して被って仕舞えばいいんじゃないかと思った。

 このひとにはこの話をする、と決める。例えば、僕にはいま恋人がいるけれど、恋人とは楽しい話を共有する。お互いの好きなものやのことについて話す。その代わりメンヘラな僕はどこかへ捨てておく。

 先生たちには。研究の話はもちろんする。そのほかの話は。趣味のことなら話してもいいと思う。同じ趣味を持ってるひとたちだから。世間話は。てきとうに受け流そう。特に家族の話は。曖昧に笑って終わりにしよう。

 友達には。これは人それぞれで、この人にはメンヘラな部分は絶対に出せないって人もいる。その時は上っ面の話だけしよう。雰囲気のいいカフェとかどこか旅行行きたいとかそれだけ。
 精神疾患の話をしてもいいかな、という人もいる。でもどれくらい深く話せるだろう。あんまり深く話さない方が良さそうだ。でもしょっちゅう会う人じゃないから、少しくらい気を抜いてもセーフかもしれない。

 カウンセラーさんには、出来るだけ心の中の暗い部分を話したい。聞いて欲しい。それが許される場だとおもってるから。

 お医者さんには。とにかく症状がどうにかなればそれでいい。だから薬だけ欲しい、正直に言って。そんなふうに振る舞おう。

 お母さんには。たまには弱音を吐いても大丈夫だと思う。楽しい話もしたい。昔の話はもうしなくてもいい。今の実家の話はあんまり聞きたくない。薄情なやつだけど、弟の話も聞きたくないんだ。

 こうやって書くと、僕の本心というか、心の闇みたいなものを出せる場所ってすごく限られている。でもそうしないと、僕の心はもっと壊れちゃうし、居場所も無くなっちゃう。みんな言うでしょ、依存先は沢山あった方がいいって。だから楽しいね、って言える人が何人かいるのだって大事なんだ。

 でも、でも、僕の心の病気は別にそのことに触れない人の前でだけは綺麗さっぱりなくなるとか、そんなことはない。だから例えば、彼ら彼女らは僕が鬱病だって知らないから、鬱病の人に言っちゃいけないことでも普通に言ってくる。何故なら僕は普通の人だと思われてるし、そのように振る舞っているから。でも傷つくの。頑張れ、とか、生きてればいいことあるよね、とか、家族が仲良しな前提で話してくることとか。

 それなら心を麻痺させて、そんな言葉に傷つかないようになりたい。傷ついても痛みを感じないようにしたい。お薬たくさん飲んだら、すこしはそれが実現できる。だからそうしたらいいのかな。

 今は無意識に顔を使い分けている。だからたまに、というか良くミスする。でも他人と話していると、なんだか自分が自分じゃないような気もする。確かに言葉に傷つけられるけど、それもどこか他人事で。発する言葉も僕の言葉じゃないみたいで。
 そんな状態とひとりのときの自分を繋いでいるのはもう記憶だけになってきているのだけれど、最近はその記憶すら曖昧になってきた。あれ、この話誰としたんだっけ?それとも夢の中で話しただけ?昨日誰と話したっけ?そう思うことが増えた。夢を見ていて、まるで現実みたいに怯えて、目が覚めてもずっと布団の中で震えていることもある。

 ぷつり、と記憶の細い糸が切れた時、それが顔を使い分けられるようになる瞬間なのかな。

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