顔色を窺ってしまうのは誰のせい?


 人さまのツイートを勝手に持ってきて申し訳ないけれど、わたしはこの内容に「それは違うんじゃないか、酷いじゃないか」と思った。なぜならわたしの父親は母親(やわたし)に対してモラハラをしていたし、その影響で人の顔色を窺って生きていることに悩んでいるからだ。

 その理由について考えてみる。わたしはそれなりに本を読んだりしているけれども、専門家ではないので、誤りがあるかもしれないことはご了承ください。

 「モラハラされる人にも要因がある」。最初のツイートをとても強引にまとめるとこうなる、と思う。そう言われると、母親やわたしにもモラハラされた要因があった?母親やわたしも悪者だろうか?と傷つく。
 この投稿者は、「悪い」「悪くない」の文脈で語っている訳ではたぶんない(その後のTLを見た限り)。でもモラハラを受けた人間からすると、ただでさえ傷ついているのに、その上お前にも非があったと責められているように感じる、それも自然ではないだろうか。


 
 まず、モラハラとはどんな状態だろうか。川崎市男女共同参画センターによると以下のように説明されている。

モラルハラスメント(モラハラ)とは、言葉や態度で繰り返し相手を攻撃し、人格の尊厳を傷つける精神的暴力のこと。 身体的な暴力でないため軽視されがちですが、暴力を受けた人の心や人生に深刻な影響を与えます。主に職場や家庭で起 こり、発生する場と関係性によって、「セクシュアルハラスメント」「パワーハラスメント」「アカデミックハラスメント」 「ドメスティックバイオレンス」等と呼ばれることもあります。加害者が自分の心理的葛藤を処理するためにハラスメン ト行為に依存している場合も多く、権力の上下関係や乱用がない場合、特に見過ごされやすくなります。

https://www.scrum21.or.jp/pdf/issue/bookinfo04.pdf

 家庭で精神的暴力が行われていた場合は「DV」と呼ばれることもある。冒頭のツイートでは分けて書かれていたが、ここでは基本的に「モラハラ」とひとまとめにする。
 ここで重要なことの一つは「ハラスメント行為に依存している場合も多く」という部分だ。これが自分がモラハラされていることに気がつかない(モラハラされている環境を普通だと思い込む)、モラハラだと他者から指摘されても否定する、という行動をもたらす。「洗脳」と表現されることもある。
 我が家も実際、わたしが成人して父親のおかしさを指摘するまで母親はモラハラやDVという単語を思い浮かべなかったそうだ。母親は職業柄それらへの知識があったにも関わらず、である。

 モラハラは被害を受けていることに気づくことそのものが難しい。そこから何かのきっかけで「この環境はおかしい。自分はハラスメント/DVを受けていた」と気がつく。その段階で、二重にショックを受ける。ひとつめは今まで無意識に蓋をしていた痛みを感じること。ふたつめは自分が傷つけられていたことにさえ気づかなかったことである。
 後者のショックも大きい。夫婦間であれば、かつて人生を共にしようと決めたパートナーに攻撃されていたことを知る。夫婦に子どもがいれば、なぜ守ってやれなかったのだろうと後悔する(わたしの母親は実際それを何度も口にする)。親子間であれば、自分を守るはずの存在が自分を傷つけていたと知る。
 そのショックの最中、「モラハラを受ける側にも要因がある」という内容の文章が目に入ったら。ただでさえなぜ気づかなかったのだろうと自分を責めてしまいがちな心にダメージを加えてしまうことは大いにあり得る。
  

 モラハラやDVを受けたことはトラウマになり、精神疾患を引き起こすこともある。子どもにDVを見せるのは虐待である。だからモラハラやDV行為そのものは「悪い」。誰かを傷つけているから。
 被害者はそのトラウマから回復する必要がある。それはほとんどの場合長い道のりで、多大な労力が必要だ。(詳しくは白川美也子著「赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア」など。)

 
 だから自分はモラハラの被害者だったんだ、加害者から離れよう、これで一件落着、とはならない。トラウマから回復する時間が必要になるからだ。

 ここで冒頭のツイートに戻る。確かに、モラハラを受けやすい性格の人はいるかもしれない。しかし、それを指摘したからといってモラハラを避けることに繋がるとは思えない。
 理由のひとつは、モラハラを受けている最中の人はそれに気がつきにくいから。気がつくには具体的に〇〇されていませんか?といった言葉が必要なことが多いから。
 次に、モラハラを受けていたと気がついていて、回復途上にある人。その人は既に述べた通り、このツイートに傷つきやすいと考えられる。
 最後に、モラハラを受けていたけれどそれを乗り越えた人。自分の被害を見つめ直す過程で、「このような被害をもう受けないためには/次にもし被害にあったらどうするか」ということを考えると思う。
 これらの理由から、「モラハラを受ける人にもその要因がある」という指摘は害の方が大きく、あまり役に立たないだろう。
 役に立つと想定される(おそらくこの投稿者が想定しただろう)相手は、「モラハラ被害を受けたと自覚しているが、それに対し何もしない人」だろう。そしてそのような人は確かにそれなりにいると思う。そう考える理由の一つは日本ではトラウマを扱える精神科医やカウンセラーが少ないから。けれど、本当に「役に立つ」だろうか?このツイートを見た時に、モラハラを受けた人が冷静に「次自分はどうしたらいいか」と思えるだろうか?その可能性は低いだろう。この人も「モラハラを受けたと気がついていて、回復途上にある人」に近いからだ。何もしていない、ということは、まだ被害を受けたことをまた無意識に追いやろうというはたらきもあるだろうし、その場合はこの投稿に傷ついたと自覚するか、反発すると考えられるからだ。それにどうしよう、と考えたとしても、一人の力では限界がある場合もある。
 どの場面であっても、結局、「モラハラの被害を受けないようにする」ということの役には立たず、しかし傷つく人は多い。
 わたしの考えでは、最初のツイートは不適切だ、ということになる。
 もちろんこのツイートでモラハラから抜け出そうと決める人もいるかもしれないが、それに比較して傷つく人の割合が多すぎる。(ひとりが救われるなら多くの人が傷ついてもいいかどうか?という問題はここでは考えない)


 同じことが二つめのツイートにも言える。「他人の顔色を窺ってしまう」という行動は、多くの場合他者からのモラハラ的言動がトラウマになっているために起こる(ここでは虐めなども含まれる)。
 自分のことが後回しになるから、そのような行動を取ることで傷つく可能性が高い。そして、「他人の顔色を窺っている」という状況も、モラハラ被害と同様、気づいていない、気づいているが回復途上である、気づいていて改善された、という三つのパターンに分けられると考える。そしてどのパターンにおいても、二つめのツイートは役に立たない。特に気がついているが回復途上の人を傷つける恐れが大きいこともモラハラの場合と同様だ。


 冒頭に述べた通り、投稿者は「悪い」「悪くない」の二項対立で議論したい訳ではないだろう。そしてその目的は、「悪い」「悪くない」の二項対立に陥ってしまった被害者に、別の視点から考えることを促す、というものがあるかもしれない。しかしその目的は達成されず、たくさんの人を傷つけるだろう、と考える。
 モラハラやDV、さらに広くハラスメントや虐待、虐めから生じるトラウマや不適切な行動は根が深いものだ。心の傷を癒し、生きやすい行動に変えていくには(理不尽だけど)被害者の粘り強い努力と専門家のサポートが必要だ。それは他人の呟きひとつで達成されるものではない。故に冒頭のツイートは適切ではないと思う。


 とりあえず、それは違うよ、と思ったツイートに長々と意見を書いてみた。きっかけはツイートに傷ついたし反発心を抱いたからだ。わたし自身ここで言う「気づいているが回復途上の人」である。
 書いてみて、短いツイートでは害が大きくなりがちなこと、専門家不足の問題、ハラスメントやDVに直接関わっていない第三者の視点など考えるべきことは他にも沢山あると感じた。けれど長過ぎるのでまた他の機会にしたいと思う。

 ハラスメントやDV、虐待や虐めなどで精神的な被害に遭った方が回復できますように。そして、わたしも回復に向けて頑張りたいです。

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